キリスト教学校教育バックナンバー
第95回総会 シンポジウム発題
危機意識を連帯感と行動へ
町田 健一
1 キリスト教主義学校の現状と課題
一般に言われている団塊の世代の退職ラッシュにともなう問題は、キリスト教主義学校にも大きな問題となっている。ただでさえ少ないクリスチャンの、しかもキリスト教主義学校の指導的立場にあった年配教師を失う問題である。クリスチャン教員が圧倒的に少ない現状に伴い、現実的な教育の姿勢や実践で建学の精神を具現化できず、また、キリスト教教育に関する教員研修の内容が礼拝のみになる等、深刻な現実がある。同時に、教員採用に関する実質的な人事権が、理事会、校長等の管理職者から、教科の教員グループに移ってしまっている問題がある。
2 キリスト教主義大学における教員養成の現状と課題
キリスト教主義学校への教員養成段階にも多くの問題がある。キリスト教主義の五十一大学に対する調査によれば、キリスト教学校教育に関する授業担当の教員を置く大学は十一大学のみであった(二二%)。専任のクリスチャン教員の不在とともに、特に中等教育レベルにおいての教員養成課程では、キリスト教学校教育そのものの担当者が非常に少ないことが浮き彫りになった。
キリスト教主義学校への養成カリキュラムの現状については、①「キリスト教主義学校への教員養成を重要な目的としている」大学は十一大学(二一・六%)、「目的としていない」大学は三十六大学(七〇・六%)であったこと、②一教科でも「キリスト教主義学校に就職する学生のために役立つ授業を用意している」大学は五十一大学中十二大学(二三・五%)、「用意していない」大学は三十四大学(六六・七%)であったこと、③キリスト教理解ともなる、キリスト教の精神(例えば、平和・安全・共生)の学習についても開講科目に課題があること、を指摘したい。特に、平和・安全・共生の学習については、キリスト教主義大学三十二大学(同盟校とは限らず)に関する別な調査結果から特記事項として二点あげておく。第一に、一般教養科目として「平和・安全・共生」すべてのテーマにわたって開講している大学が非常に少ないこと。第二に、「教員としてどのような内容を、どのように生徒たちに提示するか」の教職演習科目を、必修で履修できる大学がキリスト教主義大学としてほとんどなかったことである。今後、キリスト教主義大学として、特に教員養成課程として、「キリスト教精神」の関連科目の在り方も検討する余地がある。
3 教員の「養成・採用・研修」段階における継続的取り組みの必要
各プロセスに対して、以下のような提言を行いたい。
(1)教員養成
キリスト教主義大学では、①キリスト教理解(キリスト教信仰、キリスト教倫理、キリスト教精神)を深める授業整備、②包括的キリスト教学校教育理解を深める授業整備、③キリスト教主義学校への就職ガイダンス、④宗教主事の育成(神学科生の教職課程履修)、⑤大学院における現職クリスチャン教員の研修、管理職教員の育成(特別枠の設定)の検討が急務である(①②はICU教職課程モデルを参照)。特に②については、教職に関する科目群の内容であり、教職原論(教員の使命とその具体的内容)、教育原理(教育理念、キリスト教教育哲学)、カリキュラム論 (教育理念の具現化…教育内容方法の企画)、教科教育法(宗教科/理科等)、ガイダンス(進路指導を含む生徒指導)、総合演習(「平和・安全・共生」教育を含めた総合的な学習等のカリキュラム作り)、教育実習(キリスト教主義学校の実践的学び)の各科目での取り組みが期待される。一方、一般大学学生に対してのリクルート活動も重要で、①キリスト教学校教育同盟等による講習、啓蒙的な小冊子の作成・配布、②キリスト教主義大学における公開講座の具体策が求められている。また、教会との連携で、信仰への導きと深め、および、キリスト教主義学校教師への招きを行いたい。
(2)教員の採用
各キリスト教主義学校では、①クリスチャン教員採用枠(各自治体の養成塾等の取り組みを参考に)の確保、②採用における管理職者のリーダーシップと権限(人事は理事会)の強化に取り組みたい。
(3)現職教員の研修
各キリスト教主義学校では、キリスト教学校教育同盟・地区委員会と協力し、①学校管理職者のリーダーシップと権限強化、②教員全員対象の継続的研修プログラムの作成と実施を諮りたい。
4 小・中・高と大学教職課程との連携
以下のような、二つの提言をしたい。①大学側の推薦入試における教員志望者枠確保、②小・中・高側の教員志望学生の継続的指導(観察・参加・実習)と優先採用枠の確保、である。
クリスチャン教員がいなくては、キリスト教学校教育は成り立たない。しかし、クリスチャン教員がいても、いるだけではキリスト教学校教育は完成しない。今日、キリスト教主義学校に働く教員の養成・採用・研修は、待ったなしの緊急課題である。
〈国際基督教大学教授〉
キリスト教学校教育 2007年7月号5面