キリスト教学校教育バックナンバー
卒業生座談会
「宮城学院の教育を語る」
〈出席者〉
深谷松男
学校法人宮城学院学院長
吉崎泰博
宮城学院女子大学学長
伊藤香美子
宮城学院中学校・高等学校校長
飯塚久栄
宮城学院女子大学英文学科教授
門間陽子
研究開発財団岐阜県音楽療法研究所所長
鎌田みどり
JICA新潟デスク国際協力推進委員
石川幹子(紙上参加)
慶応義塾大学環境情報学部教授
大沼 隆
宮城学院宗教総主事
創立百二十周年の宮城学院
司会 お集まりいただいてありがとうございます。今回の趣旨に則って、では、まず学院長からお願いします。
深谷 宮城学院は、昨年九月十八日に創立百二十周年を迎えました。一八八六年(明治十九年)、プロテスタント・キリスト教に基づく人格教育を基本に据えて、宮城女学校として設立されて以来、戦前のキリスト教学校に厳しかった時代、大戦下の空襲によるキャンパス全焼、戦後ミッションの献金による復興、そして大学の設置を経て一九八〇年に現在地に総合移転して、一つのキャンパスに大学、大学院、高等学校、中学校、幼稚園がまとまって一つの教育コミュニティーを形成しています。
宮城学院のスクールモットーは「神を畏れ、隣人を愛する」で、これは宮城学院初期の寄附行為(本文は英文、名称はConstitution・憲法)第二条〔目的〕に謳われている一節から取ったものです。聖書に拠り、永遠の神の前に謙虚であり、同時に隣人に対する愛の働きのために、学問や技能をしっかり身につけさせる教育をすることで、これが本学院がずっとやってきたことです。
百二十周年に当たり、この建学の精神を再確認し、それをさらに生かして社会のニーズに応えるべく、現在創立記念事業を行っています。諸種の記念行事をしていますが、昨年、中高は週六日制と新しいコース制を採用し、大学は今年から学科を二つ増加しました。これが最も大きなことでしょう。また、キャンパス中央の礼拝堂を増築し、キリスト教等の研修室やボランティア活動の拠点を作りました。ボランティアは自主的なものですが、学校としては新しい教育の一つの在り方です。それに参加する実践が生きた学習であり、社会参加がそこから始まりますから。そして、この座談会も、ある意味では、創立記念事業の一つですし、全国のキリスト教学校の仲間に語りかけるという意味をもっていると思います。
宮城学院で学んだものと現在の活動
飯塚 私は今、宮城学院女子大学の英文学科で教えております。私は純粋の「宮城っ子」(宮城学院生の愛称)だと思っています。宮城学院の中学・高校・大学で学びました。私が宮城学院で培われたのは三つで、まず、中学校の英語教育でしたね。発音記号から始めるという当時としては珍しいものでした。宣教師の先生が鏡を持って発音を教え、それに基づく会話ですね。会話、先生が「ウオーキング・トゥ・ザ・ドア」などと言って、教壇の上を歩き、そういうアクションを見せながら生きた英語が自然に身につくような教育でした。私は英語をとっても好きになって今に通じていると思っています。
もう一つは音楽教育です。これも、毎日の礼拝で賛美歌を歌い、同時に楽譜も読みますので、楽譜が自然に身についていきます。宮城学院の場合には大学に音楽科があるので、非常にレベルの高い音楽教育を受けたと思います。
三つめは、毎朝の礼拝で聖書を読んだことです。最近は大学生を礼拝に誘うのがなかなか大変な時代ですけれども、その当時教職員も学生ももっと自然体で礼拝に出席していたのです。聖書の言葉もそのまますんなり入って、私は勤めるようになってから洗礼を受け信仰に入りましたが、それも何か特別という感じはしなかったと思います。
門間 私は姉妹三人とも宮城学院にお世話になりました。私はこの学校に来て一つ一つのことが驚きでしたね。クリスマス礼拝のハレルヤコーラスをみんなで積み重ねて練習していくというのは何かとても感動的で、初めて覚えたクリスマスの賛美歌をよく道路を歩きながら歌った記憶があります。多感な中学のころから、私は、情緒というものがどのように育つのかということをこの学校で宗教とか音楽に触れて身につけたように思います。またここは女子校でしたので、男性をまず立ててというようなことはなく、女生徒同士が平等にいろいろな役割を担うということを生活経験から学んだことも大きかったです。
鎌田 飯塚先生の三つのご指摘と同じです。私は、晴れて入学した日、入学式で、校長先生から「神様に選ばれて入学したんだよ」と言われ、公立の学校とは違う不思議な雰囲気を味わった記憶があります。また、中学一年生からの英会話の授業がすごく厳しいものでしたから、今でも宮城学院の卒業生の発音がきれいだと言われるとそれを誇りに思います。仕事で英語を使っていても、これは中学時代にあの先生に習った、これもあの先生に習った、と次々に先生の名前が出てくるほどです。
あとは、やっぱり音楽教育ですね。もともと音楽の環境がいいところに入りたいと思って宮城学院を希望しましたが、毎朝賛美歌を歌い、パイプオルガンを聞き、音楽の授業では、中学三年生全員の弦楽器が鮮烈でした。この学校では提供されるものが多くて、これもやりたい、あれもやりたいとすごく好奇心をかき立てられたと、今思います。
石川 宗教教育や英語教育もそうですが、私にとってその後の人生を決定づけるような貴重な体験となったのは、中高を通して受けた理科教育だったと思います。生物の先生に引率されて生物班の友人たちと郊外の森林や河川に出かけて生き物を観察したり不思議な生態系に感動したり、それが私たち人間の生活空間といかに深いつながりをもっているかに興味関心を持つようになったことです。ちょうど「開発」の名のもとにどんどん周囲の自然が壊されていく時代だったので、どうしてこんなひどいことが起きているのかと胸を痛めながら大学受験期をむかえたのを思い出します。
門間 先ほどスクールモットーの「神を畏れ」について言われましたが、私は卒業してから社会の中で、物おじする、人を恐れるということがあまりありませんでした。人間を超えた神の存在が心にあるからです。これは、宮城学院の教育の一つだったと思います。
今の私の仕事は、例えば認知症の方と音楽を通して過去の記憶をたどっていくようなことをしています。宮城学院では、人間の多感な時期に、愛情に満ちた教師集団のもとで音楽を通しても、すばらしい思い出を全ての子供達の心の中に作り続けていました。自分も中高の教員になったとき、自分が育てられたようにしたいと思いました。中学、高校、大学と十年間宮城学院で学び、その後教師としても十年間、勤めさせていただきましたが子供達との関わりを通して、もっと外の世界を見たいという気持ちが強くなり、音楽療法という領域を学び直しました。
音楽療法は、芸術でも宗教でも情緒でもなく、科学の領域なのです。中学高校時代の女性に科学的な考え方を身に付けさせることはとても大切です。それは子供を育てるときの基盤にもなるでしょう。宮城学院では音楽、英語だけではなく、理科教育も決しておろそかにしていなかったと思います。「女の子だからそういうことはしなくていい」ではなくて、科学的な面での教育もしっかりしていたと思います。ですから音大出身の私も科学的な物事の組み立てに、さほどの抵抗もなく、入ることができたのではないかと思っています。
鎌田 私は現在、JICAのスタッフとして働いています。去年の四月までアフリカのジンバブエという国の小学校で音楽を教えていました。海外協力隊を目指したきっかけとなったのは、中学生のときキリスト教教育週間で来校された卒業生の方から、フィリピンの奥地で聖書を少数部族の母語に翻訳する仕事に従事している話を聞いたことです。すごく好奇心がかきたてられ、感動しました。その後、松井やよりさんがまたキリスト教教育週間にいらして、そのときもすごく衝撃的で、世界のこと、特に途上国に関心を持つきっかけになったと思います。
石川 私が宮城学院中高で、いわば十代のカルチャーショックを受けたのはキリスト教です。在校生にとって、今は当たり前となっている毎日の礼拝や聖書の授業は、私の人生ではその宮城学院在学の時期だけであり、東京大学でも、ハーヴァード大学でもそのような経験はありませんでした。今いる大学でもそれはありません。
私は大学卒業後、ハーヴァードで研究中にボストンという古い街が十九世紀から二十世紀にかけてパークシステム(水と森のネットワーク)計画で大きな変貌をとげたことを学び衝撃を受け、帰国後は東京の臨海都市(お台場)づくりの大型企画に参画したり、EUが公募した二十一世紀の公園づくり(マドリード)国際コンペに応募して優勝したり、いろいろなことを意欲的にやってきました。今は生態系を守る森と都市の共生「鎌倉の森」プロジェクトとか岐阜県各務原市「水と森の回廊を創る」企画にも参与し、中国その他での仕事にも関わっています。
司会 伊藤校長も中高の卒業生ですね。
伊藤 ええ。私は生徒として中高六年間、教師としても二十年以上宮城学院にお世話になっています。人生の大切な基礎を築いていただいたところです。私は宮城学院に入学して教会にも導かれ、どんどんキリスト教に惹かれて行き、中学三年の時に聖書の授業を通して将来キリスト教を勉強したいと思うようになって、大学ではキリスト教学を専攻しました。
大学卒業後、最初大阪女学院で、その後母校の宮城学院に勤めて今日に至っています。今日は、国内的にも国際的にも活躍する卒業生にたくさん出会って嬉しいですね。
現在の教育のとりくみ─自律的に
吉崎 私は、二年前に宮城学院女子大学の学長として赴任しました。外から来てみて、すごいなあと思うことがいろいろあるんですが、宮城学院の学生たちは別に何とも思っていないですよね。たとえば、この一つのキャンパスの中に、パイプオルガンが三台もあり、礼拝堂と音楽科と中高で日常的にそれを聞けるんです。また森に囲まれた環境のよさ。大学のキャンパスの中に池があって、そこに白鳥が越冬しているなんていうのは、これも非常に珍しい。さらに、図書館の第二閲覧室もすばらしい。天井がすごく高いし、全体がガラス窓で、その向こうが全部緑ですからね。大きな中庭も美しい。学長になることが決まって挨拶に訪れたとき、雪が降っていて、中の芝生も真っ白だったんですよ。そこで園児たちがワーワーキャーキャー言いながら雪合戦している。感動しました。
大学の英文学科や国際文化学科では、毎年海外に研修や実習に行っています。そういう国際的な展開をしながら、国際的な視野を持ったいろんな研究がなされているし、本当に優秀な先生が多いですね。研究費なんかも潤沢だし、自由な研究のシステム、雰囲気ができ上がっているし、非常に民主的です。
飯塚 英文学科の海外研修でイギリスに学生を連れて行った時の印象が強く残っています。ケンブリッジで歓迎パーティーが催されたのですが、約四十名の英文学科の学生たちはヨーロッパの同世代の若者たちの歓迎に応えて、一瞬にして相談した後、ヘンデルの「メサイア」からハレルヤコーラスを女声三部で歌ったのです。東洋から行った若い娘たちが、ヨーロッパ文化の中で堂々ときれいに合唱し、大きなインパクトを与え、私は誇りに思いました。
司会 ハレルヤコーラスと言えば、同窓会のホームカミングデーやコース会などでも毎回締めくくりの時に、老いも若きも一緒になってよく歌われていますね。
ところで大学では学芸学部に二つの学科が開設されるのですね。
吉崎 ええ、二〇〇七年四月から、心理行動科学科と児童教育学科という新しい学科を二つ開設するため、ずっと準備を重ねてスタートにこぎつけました。教授の陣容もほとんど内部の先生方だけで満たすことができました。そういう人材が揃っているのですよ。
採用人事もすべて完全な公募制をとっているし、自由な研究環境が整っているので、優秀な先生方が国立大学からも移って来られます。しかも、本学の先生方は、私の知っている他大学と比べて、学生に対しても面倒見がいいですね。
伊藤 中高でも生徒一人一人を尊重し、きめ細かな生徒指導を行っています。さらに、最近の生徒は高校卒業後はほとんど全員が進学を希望し、その進路も多様化してきていますので、進路実現のために確かな学力を身につけさせたいと願って、今年度より新しい歩みを始めました。それは週六日制と高校にコース制を採用したことです。高校生は進路に応じて、国公立大や難関私立大を目指すアドバンストコースか、中堅私立大を目指すクリエイティブコースかのどちらかを選択することができます。生徒が神様から与えられた賜物を十分に生かせる進路を見つけ、それを実現して、社会に羽ばたいて行ってほしいと願っています。
深谷 たしかに大学でも中高でも先生たちは、当然のこととして一人一人に心を配った教育をしています。教育というのはもともと自律的なものであり、自己を律する者たちみんなで自律的にやっていく。先生と生徒のそういう人格的なかかわりの中でこそ教育ができるわけです。何か上から一つの枠をつくってはめ込んでいっていいというものではないはずです。だからこの学校は、先生方が教育に積極的かつ熱心で、これは宣教師からずっと代々自然に伝わってきたものじゃないかと私はいつも思っています。
しなやかに、地の塩として
飯塚 教育で「育む」ということと「培う」ということ、この二つを宮城学院で与えられたような気がします。人格的にはぐくまれるということもあるし、その生徒・学生の持っている能力とか素養を引き出すのがとてもうまいというか……、そう思いますね。先ほど門間さんがおっしゃった、物おじしないというところは、宮城学院の校風の中ではぐくまれたものですよね。
石川 私は森林や川を活かした都市づくりという専門分野でこれまで国内の知事たちだけでなく海外のいろいろな国の大臣とか行政の要人たちと会ったり話し合うことも多いですが、物おじすることはまったくありません。むしろ、こちらの考えをきちんと説明し、時間をかけても理解してもらうようにねばり強く努めています。簡単に妥協などせず、丁寧に、しかし、曲げずに通します。しなやかさと強さでしょうかしら。
伊藤 そういうところはかなり卒業生に共通しているように私も感じています。
司会 なるほど。そういうことにあとから気がついたという卒業生がたくさんいますね。その環境の中にいるとわからないけれども、出てみると知らないうちに、自分自身の人格の一部を形づくっていたというものがあそこにあったというようなお話ですね。
吉崎 私の専門は比較文化学ですが、日本社会の価値観というか日本人の持っている世界と、近代化された世界が共通に持っているものとの間のギャップがすごく大きい。その両方を知っている人材、つまり日本に育ったけれども、西洋近代の基盤になっているキリスト教を中心に、そういう物おじしない一つの自分を持っているという人。ここにおられる方々のような女性が、今世界でとても必要とされる人材だと私は思っております。
伊藤 普通の日本人の女性として、周りと協調する和の精神というものを生い立ちの中で持っていますが、それと共に、宮城学院のキリスト教に基づく女子教育を受けて、神様との関係で確立した何にも動じないというか物おじしない個というものに立脚して、行動することを私たちは身につけていますね。
鎌田 公立の小学校時代と違って、宮城学院では何か尊重される度合いが高いというか、これだめだと言われることがすごく少ないし、多少おかしなことをしても先生方が理由を考えてくださる、何でこの子はこういうことをしているのだろうということを大切にしてくださる。改めて考えると、確かに今社会で働いていて良く言われることは、いろんなことに興味関心をもち、かつきちんと自分の考えを言える女性だということです。私の体験では、ジンバブエでも田舎のコミュニティーがあり、年上の人や権力ある人をすごく大切にしていることに気づきました。初めは、国際化ということから、きちんと自分の意見を言うようにしていたのですけれども、二年目は同化することにも心がけました。そして、自分が苦しくても、これはきっと乗り越えたら何かがあるのだろうというのを信じて、二年間やってきました。「地の塩」という言葉がずっと心にあって、地の塩になって、ここでできることをやっていけたらな、というふうに思って活動をしてきました。
門間 私も、音楽療法という世界に入って、「世の光」というよりも「地の塩」として「隠し味」の働きも大切と思うようになっています。先ほどボランティアの話が出ていましたが、上から助けるようなことではない活動が始まっていることをうかがい、宮城学院が本当の意味で外に向かい出したかなと思いました。
深谷 学院長になって最初に礼拝ガイドブックをつくることから始めました。学生・生徒、教職員みんな一致して学校礼拝を大切にするように。その次に、中期教育計画・財政計画。その次の年に広報活動の委員会をつくり、リーフレットをつくりましたが、宮城学院の特色を鮮明にするために、三つ掲げました。第一に「福音主義キリスト教」、もう一つは、「教育コミュニティー」としました。一つのキャンパスの中に幼稚園から大学院まであり、学生が中庭で遊ぶ幼稚園の子の姿をふだんに見ている、あるいは中学生が大学生の後ろ姿を見て自分の将来を考える刺激を受ける。こういう一体感の中で受けるものは非常に大きいと考えられます。三番目は、さっき出た宮城っ子が外に出ていって物おじせず、いろいろなところに入っていって活躍していること、つまり「自主・進取の精神」。この三つです。
後輩たちに向けて
司会 最後に、現在の宮城学院で学んでいる学生・生徒たち、またそこで働いている教職員に対するメッセージを、今までのお話との関連でどうぞ。
飯塚 現在行われている高校と大学と連携して高校生が大学に行って授業を受けること、これはとてもいいと思う。また礼拝でも中高の礼拝に大学の先生が行ったり、中高の先生が大学の礼拝でお話ししたりして、高校と大学との連携をさらに強めるといいと思います。また、私は語学も目先の実利主義的な面だけでなく、文学を通してもっと広いスパンで、人生のいろんな生き方とか考え方など、そういうものを学んでほしいと思います。
深谷 リベラル・アーツですね。高い資格や技能を身につける必要性が高まれば高まるほど、専門性を高めつつ、本当の意味の教養を高めなければならないですからね。
門間 最近、盛んに言われている異業種等との連携でも、個としての自分の考えや価値観をしっかり持っていないと、できないのです。もう一つは、科学的な視点です。見せかけのデーターなどでごまかされてしまわない知性と真実を見ぬく目、そういう力を先生方にも教え続けていただきたいと同時に、学生さんもこの学校にいる間にそのような力を自分の中ではぐくんでいただきたい。そして今後は、自然や人との調和を意識しながら、様々な人と連携しながら、外の世界に出て行ってほしいと思います。
鎌田 私は自分より若い人たちを見ていて、世界で起こっていることに対してすごく無関心だなと思います。ここでは、私達の可能性を引き出してくれる教育が提供されています。高校生、中学生はもっと積極的にいろんなことに関心をもってほしいですね。
石川 身近な生活環境でなにが起こっているかしっかり見ること。山と川、森林と水によって命がはぐくまれていることをきちんと理解し、壊すのではなく活かすことの大切さを心に刻んで欲しいです。夢をもってその実現に向かって周到な努力を積み重ねていってください。九〇%ダメでも一〇%実現すればOKという気持ちでチャレンジして欲しいですね。
深谷 今ここで近いものに見えることは、あと十年もたつと去っているかもしれない。だから、自分の中に絶えず新しいことに挑戦するものを持っていないといけませんね。
司会 どうもありがとうございました。
キリスト教学校教育 2007年6月号2~4面