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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 一般社団法人キリスト教学校教育同盟

新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

第49回学校代表者協議会

基調講演

今日の社会崩壊とキリスト教教育

大木 英夫

1.戦後日本社会の構造変化――「契約化」

 日本国憲法第二十四条に「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と規定する。それは結婚生活の構造原理が「契約」コントラクトにあることを示している。それは皇室典範第一条に現れている天皇制を頂点とする、家父長制家庭観と鋭く対立する。結婚の成立規定に、社会の結合の根本的変化が示されている。かつて中根千枝氏は『タテ社会の人間関係』を著し、日本社会に敗戦後も残存する家父長(タテ)社会意識と契約観念の欠如を指摘した。しかし氏は契約によって形成されるヨコ社会の原理を説明していない。契約原理はピューリタン革命時にあらわとなったデモクラティックな社会の形成原理である。

 家庭崩壊現象は深刻なまでに蔓延する日本社会の病状である。敗戦により崩壊したタテ社会の後に、ヨコ社会が今なお確固として形成されていない。先日米国エモリー大学のウィッテ教授は、「サクラメントからコントラクトへ」と「コントラクトからコヴェナントへ」という二つの講演をした。コントラクト「商約」に対し、コヴェナントは神が両当事者と関わる「聖約」である。米国で広がる離婚問題を背景に、コントラクト結婚で従来理解されてきた結婚をコヴェナントで法制度上捉え直そうとする動きを指摘する。EU人権契約でもコヴェナントが用いられるに至っている。コヴェナントは神の位置を持ち、垂直構造と水平構造を持つ。「明日に架ける橋」と和訳されたサイモンとガーファンクルの歌Bridge over Troubled Waterは「荒波の上に架ける橋」と訳されるべきであり、友への犠牲愛が歌われている。相互愛がキリスト教的犠牲愛によって吊り上げられていなければならない。近代的結婚は「下」(自然的なもの)から支えられ「上」(超自然的なもの)によって吊り上げられることによって全うされる。コントラクトからコヴェナントへ契約理解の深化が社会崩壊克服の手がかりとなる。

2.「教育再生会議」とキリスト教教育「ボーン・アゲイン」

 進行するグローバリゼーションの進行に応じて構造改革が叫ばれている。これまで日本の体制は国家主導の護送船団方式で「一九四〇年体制」(野口悠紀雄氏の著書名)の延長にあったが、これからは通用しない。政府は「教育再生会議」を立ち上げ教育基本法改訂を課題としているが、政策的に大きな矛盾がある。市場競争原理を背景にバウチャー制度という商約的コントラクチュアリズムを導入しながら、愛国心を新しい教育原理に持ち込むことで戦前型へ振り向いている。それは運転手が後向きで車を運転している姿である。

 しかし問題の本質を良く見極め、親が変わることで子が変わり、教育者が変わることで学生が変わり、学校が変わることで社会が変わりうる。新しい時代に思想が即応できなくなったことが古代コーマ帝国崩壊の原因であったと言える。同様に日本においても新しい時代に相応しい担い手としての人間形成の思想が求められている。サクラメンタルな古い社会への復帰は成立しえない。しかしコントラクト化した現代社会の崩壊はコヴェナント的契約概念の把握と実践によって克服されうる。肝心のキリスト教学校がコントラクト化していないか。キリスト教学校の再生は社会の再生に直結する。個の確立は社会の確立に結びつく。個の自覚は社会性の訓練の中で育つ。幼児期からコヴェナント教育(約束教育)が重要である。契約原理は倫理性の成熟なしには破壊的に作用するばかりである。

3.一つの事例として―「日本を変えるため聖学院が変わる」

 今日の日本社会の根本問題との取組みとして、聖学院全学院が実践してきたことをご紹介したい。二〇〇〇年から聖学院は三年継続の全教職員参加の「教育会議」を開き、「聖学院教育憲章」にまとめた。それは新しい時代状況に対処して、コヴェナントとしての契約教育思想を持つためである。しかも契約(聖約)教育共同体として、本学院を形成するためである。キリスト教学校も意志的共同体である。

 日本社会の基礎共同体である家庭が契約理念を生かすほどの理解を持たないまま推移して、多くの問題現象が起きて今日に至っている。多くの若人が好んで行うキリスト教結婚式は正にコヴェナント結婚である。家庭の中枢に「聖」を持つこと、キリスト教学校の中心に「聖」の次元を回復することである。聖学院が聖約共同体となることは、日本社会の空虚さの中に「現実」な取組みを持つことである。人間が人間に「成る」ことが教育の課題であるとすれば、それは聖約共同体の一員として新しい人間に「コンヴァートして成る」ことにほかならない。

 キリスト教教育はEducationというよりもEdification「立ち上げる」ことである。垂直次元の喪失した契約社会を、垂直次元を持った聖約社会へ前向きに立ち上げるのである。聖学院教育会議はそのことをめざしてきた。キリスト教学校は「新しい契約に仕える資格」(第二コリント3章6節)を獲得し、日本を変えていく拠点にならなければならない。聖学院は本年百周年を迎えたが、明治の各バンド(コヴェナントと同語)を回復し、次の「聖学院百周年聖約」をもって神の前に祈った。

主の年二〇〇三年から二〇〇六年まで聖学院は創立から百周年を記念し、学校法人聖学院として心をひとつにし、創立の理想を回顧し、また来る百年を展望する機会をもってきた。日本の現状を顧みるとき、敗戦後外面的復興によって隠蔽されてきた内面的問題が今や人間や家庭の崩壊となって現象し、重い教育課題として迫っている。この課題と真っ向から取り組み日本の未来に希望をつくり出すことはとくにミッション・スクールの使命であると言わねばならない。学校法人聖学院は、聖学院が主と仰ぐ神の前に、この使命達成のため新しい百年に向かって教育のために召された聖約共同体として自己を形成し、法人全体一致協力して使命を担い、主の栄光をあらわすよう努めることを、ここに厳粛に聖約する。

(文責・阿久戸光晴)

〈聖学院理事長・院長〉

キリスト教学校教育 2007年1月号5面