キリスト教学校教育バックナンバー
通算600号に寄せて
変わらない「キリスト教学校教育」
田添 禧雄
私は一九九九年から四年間、教育同盟主事を務めさせて頂いた。私の仕事は、次代へのリリーフ的な過渡期的役割であった。「キリスト教学校教育」編集実務もそのひとつであった。
教育同盟を辞めて四年、毎月お送りいただいている「キリスト教学校教育」を眺めながら、いつまで経っても少しも変わらないなというのが実感である。テーマといい、割付といい、紙面構成も変わっていない。それは私の時代も、その前の時代からも基本的には変わっていない。
それゆえに批判も多い。私の時代にも広報委員会は度々(四三四号、四五四号)弁明に努めた。確かにこの「キリスト教学校教育」の宿命的な使命として、総会はじめ代表者会、諸研究会等々の諸集会の記録の保持が本紙をいわゆる面白い読み物としないことは否めないが、教育同盟の重要な役割を果たしているのではないか。この度の『百年史』編纂には大いに役立っているのではないか。
しかし実は、月々時々刻々と編集者は改良の努力をしている。私も四年間でどれだけいろいろなことを変えただろうか。
こんなことを書きながら、当時の編集が思い出される。就任早々まず驚いたのは、その紙面割付の仕方であった。当時、送られてくる原稿もほとんど手書きで、まずその原稿を印刷所で一行十三字の棒打ちを作らせ、それを割付用紙に手を真っ黒にして貼付けてゆく作業であった。同盟にはまだパソコンなどないワープロ時代であった。それからパソコンを導入し、メールで入稿するようになり本当に楽になった。校正はいくらやってもミスはなくならず、広報委員会のたびにある委員から、鬼の首を取ったかのごとく、これだけ赤字があると叱られたのも懐かしい。様々な行事に追われながら毎月否応無しにやってくる編集発行の仕事は同盟主事には大きな仕事であるが、私の場合Fさんという有能な職員に助けられ、もともと新聞の編集は嫌いではないので結構楽しんでさせて頂いた。
広報委員会、実務者の見えないご努力に感謝しつつ、六〇〇号おめでとうございます。
〈日本基督教団姫路福音教会牧師、元教育同盟事務局主事〉
キリスト教学校教育 2007年1月号2面