キリスト教学校教育バックナンバー
聖書のことば
高木 総平
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました」(ヨハネの手紙一4・9)
様々な悩みや傷を持った学生や生徒たちと関わると、その「自尊感情」の低さを痛感します。上田紀行は、『生きる意味』(岩波新書)で、その自尊感情の低さは、普通の子どもたちにだけでなく、大人にも見られることを指摘しています。要するに、子どもも大人も生きにくい、生きる力を奪われている社会ということです。そして、原因を著名な心理学者が論じている「母性社会」と、豊かさを追求する合理性が結びついたことから生じると看破しています。学校もその結びつきの影響下にあります。このような社会は、人が大切にされない社会で、その大きな流れからマイナスと思われていることや異質なものを排除していきます。
先月お祝いしたクリスマスの出来事において、救い主が、小さな貧しい人たち、時代の大きな流れから価値のないものとされ排除された人たちとともにいてくださるということ、人が徹底的に大切にされるということが示されました。そしてイエスの十字架の死は、当時の社会で最もマイナスとみなされる死に方の向こうに、大きな救いがあるということを表しています。これはいうまでもなく聖書を貫いている根本の流れです。
キリスト教学校はこの流れの中にあります。今もその流れの中に生かされていること、それは一人一人が、たとえ悩みや傷があっても、成績が良くなくても、神様の目から見るとかけがえのない存在なのだ、そして小さな貧しいもの、言い換えるとこの社会がマイナスとみなし、排除しようとする世界に心を向けること、そして異なった存在を尊重すること、これらをキリスト教学校の使命として、あらゆる機会にしっかりと伝えて行きたいものです。
〈松山東雲女子大学宗教主事〉
キリスト教学校教育 2007年1月号1面