キリスト教学校教育バックナンバー
追悼
出会いの人 対話の人
竹中正夫先生のこと
野本 真也
竹中正夫同志社大学名誉教授は、去る八月十七日胆管ガンのため八十歳の生涯を終え天に召された。
一九二五年北京で生まれ、京都大学経済学部、同志社大学神学部を卒業、イェール大学大学院でPh.Dを取得、日本基督教団倉敷教会の伝道師を経て同志社大学神学部教員に就任、四十一年にわたって神学教育に尽力された。
小柄でエネルギッシュな教授は、イェールや一九六一年WCCニューデリー大会で「トランジスターラジオ・メイドインジャパン」と評されていたが、全生涯が閉じられた今、教授はそれどころか、温かいハートをもった「スーパー・マイクロコンピュータ」であったと表現したいと思う。なぜなら、教授はキリスト教の福音が歴史や現実や文化と密接にかかわりあっていることをしっかりと見据えながら、研究教育のみならず、じつに広範囲にわたって精力的な実践活動を展開されたからである。
キリスト教倫理を専門とする教授は、教会やキリスト者の社会的責任と歴史・文化・社会への貢献を明らかにするため、『倉敷の文化とキリスト教』、『和服のキリスト者』等数々の著作を表すとともに、研究室と教室を越えた活動によって多くの教え子や働き手を生みだし、また先進的な活動の場や機会を開拓された。現代社会における重要な課題に対話と和解の精神で取り組む日本クリスチャンアカデミー、関西労働者伝道、西陣市民センター、IMF-JC労働リーダーシップコースなどである。
教授は早くからエキュメニカル運動にも積極的に参加し、世界キリスト教協議会、アジアキリスト教協議会、世界神学教育基金等の委員として多大の貢献をされた。
美術にも造詣の深い教授は、神学部のカリキュラム改革によってスタートした学際的なキリスト教文化学の分野のなかでキリスト教美術を担当された。またアジアキリスト教美術協会を立ち上げ、会長として長年にわたって活躍された。最後の著書となった『美と真実 近代日本の美術とキリスト教』もこの分野における先端的な業績のひとつである。
さらに同志社大学人文科学研究所での共同研究、新島襄研究、アメリカ研究科での研究指導や、神学部長、人文科学研究所長、学校法人同志社理事などの行政職、晩年には同志社を越えて、聖和大学教授、神戸女学院理事として教育研究や管理運営の労を担われ、『ゆくてはるかに―神戸女子神学校物語』『C・B・デフォレストの生涯』を出版された。
教授はひとりひとりとの出会いを大切にされた「出会いの人」であり、その出会いを契機にさらなる対話を求め、交わりを深めようとされた「対話の人」であった。最後にお会いしたとき、教授は病気が治ったら「自分史」を書きたいと意欲を燃やしておられたが、それをわれわれはもう読むことができない。しかし教授との対話と交わりを思い起こし、われわれの心に刻み込むことで、教授は書き残した自分史をわれわれの心に書き記してくださるにちがいない。
教授は常に、和解の福音を携えて地上を歩む旅人でありたいと語り、永遠の都をはるかに仰ぎながら信仰と希望と愛に生きるべきことを教えておられたが、教授はその教えをみずからの生涯によってみごとに証してくださった。教授と出会い、対話を楽しみ、交わりの機会を与えられことを感謝し、神に賛美をささげたい。
〈同志社理事長、同盟常任理事〉
キリスト教学校教育 2006年11月号4面