キリスト教学校教育バックナンバー
パネルディスカッション発題
蒔かれた種の開花を待つ
榮 忍
最初に、現任校の背景について紹介をしておきます。酪農後継者を育てる私塾からスタートした酪農学園ですが、キリスト教を教育の基盤とすることを宣言し、神・人・土を愛する三愛精神を建学の精神としたのが一九四六年。ちょうど六十年を経たところです。その学園のベースとなった男子校(「機農高校」として知られ、統合時には「酪農学園附属高校」と称した)と、「三愛女子高校」から共学化していた「とわの森三愛高校」が統合され「(新生)とわの森三愛高校」となったのが一九九一年。現在の体制となり、十六年目です。
個人的な背景としては、教会の牧師としての十二年を過ごした後、現任校に宗教主任として赴任し、今年は十一年目です。赴任当初のことが自分にとっては一つの原点になります。赴任の要請は二月の半ば。四月始めには着任することが求められ、その期間は二ヵ月もないという慌しさでした。それまでは教会で牧師を続けるものと考えており、学校で働くことは念頭になかったのです。準備などを整える間もなく教員生活が始まったわけですから、自分に出来ることは「礼拝」「聖書を語る」ことでしかなかったと思います。
今、改めて今回のテーマである「キリスト教学校だからこそできること」を目にしながら、この自分の原点を意識して、活動紹介をすることで発題とします。
本校の礼拝は、週に一度、毎週月曜日に行われます。学校時間割の一時限をそのまま礼拝時間に当てています。簡略化されたプログラムで一時限五十分の礼拝で、奨励の占める割合が大きいものとなります。ほとんどキリスト教に触れた経験の無い一年生に配慮して、一時間目を一年生、二時間目を二・三年生の礼拝とし、必要に応じて全校礼拝を組む形をとってきましたが、今年度は、この形式は入門編として、六月半ば以降、常に全校礼拝にしています。
毎週の礼拝のために「週報」を発行し、当日の奨励要旨を週報に掲載して配布します。この週報は、別に配布される「礼拝ノート」に毎週貼って感想を書くことが、聖書科の課題となり、年に数回ですが、聖書科教師が点検をすることにしています。また今年は、週報に「メモ欄」を設け、奨励を聞きながら要点をメモする指導を続けています。
地道な積み重ねがいつか花開くものとなることを示してくれるのも生徒の反応です。配布した資料には、卒業式時に配るものも載っていますが、三年間のキリスト教の学びを振り返ってのレポートですが、あまり目立つ方ではない生徒が、深い感想を残してくれることがあります。一年の初めには、礼拝ノートにどう書いてよいかわからなかった生徒が、いつの間にか内省を深めて大きな成長を見せてくれます。
聖書科では、入門テキストなどを用いることを止め、聖書そのものを扱って授業を組み立てることにしています。基本的には、一年ではキリストの歩みを、二年生は創世記から出エジプト記、三年生はカナン定着後のイスラエルという形で、しかし今現在にも意味を持つのはどういう事柄かを考えるのが、授業での狙いです。なかなか明確な反応や、信仰に結びついたという報告は聞こえてこないのですが、生徒の声として「考えることを学んだ」とあって、嬉しく思うことがありました。
蒔かれた種がいつ花開くのかはわたしたちには決められません。そのときを信じて待ちつつ、与えられた課題に忠実でありたいと願っています。
〈とわの森三愛高等学校宗教主任〉
キリスト教学校教育 2006年10月号2面