キリスト教学校教育バックナンバー
人づくりの原点 マタイ22:34~40
開会礼拝奨励
長岡 立一郎
わが学院は、今から九十五年前の一九一一(明治四十四)年四月に開校いたしました。
この学院が創設され、草創期の礎を築いた人物として二人の名前を上げることができます。それは先ず、チャールズ・L・ブラウン(一八九八~一九一六)博士であります。
今日、開会礼拝の会場としておりますブラウン・メモリアル・チャペルは、八十一年まえの一九二五(大正十四)年にチャールズ・L・ブラウン博士を記念して献堂された建物です。実は、この学院を象徴するチャペルが建設されるようになった背景には、次のような動機とエピソードがありました。「水曜日の午後は院長と数人のクリスチャン教師により聖書研究が行われており、そこに学生が七十名中約五十名が出席している。・・・今年の春、十五名が洗礼を志願していたが、その中八名が受洗をした。これは最初の実りである。・・・・このような成果を踏まえて、今後、一層生徒に働きかけるためには宗教的、象徴的な器(設備)を整えなければならない。特にチャペル建設は何をおいても第一優先課題である」(The Joint Conference of Lutheran Mission, 1913より)との報告書があります。
それから十二年後、一九二五年にこのチャペルは完成しました。ブラウンが言う「宗教的、象徴的な器」、つまりキリスト教を象徴する礼拝堂の佇まいが如何に大切か、と今更ながら教えられるところです。
第二に、学院創設と草創期の働きに尽力した人物として遠山参良初代院長を上げることができます。彼は、一八六六(慶応二)年一月十三日、八代郡鏡町で生まれ、北米オハヨー・ウエスレアン大学に留学、帰国後、長崎の鎮西学館(現在の鎮西学院)、また活水女学校で英語と生物学の教師として教鞭をとり、明治三十三年、第五高等学校の教授をしていた夏目漱石の招きにより、後任英語教授として迎え入れられました。
遠山参良院長は、学院の草創期に「敬天愛人」を建学の精神として定め、「己自身を監督せよ」と「役に立つ善人となれ」との生きる規範を据えて、生徒たちを導いたのです。
前述した初期の宣教師・チャールズ・L・ブラウン博士と遠山参良先生は、熊本に赴任する前に、列車の中で劇的な出会いをし、その後も親交を暖め、この学院創設のために尽力したのです。この二人の出会い無くして、わが学院の誕生はなかったかもしれません。
さて、人間の育成、人づくりの根底に、その「場」と「時」を支配する「空気」(霊の働き)のようなものがあります。この空気を凝縮し「象徴するもの」、わが学院の場合、ブラウン・メモリアル・チャペルであります。
もう一つは、わが学院に与えられている建学の精神として「敬天愛人」があります。これは、マタイによる福音書22章37~39節に根拠をもっています。これは、人づくりの原点だ、と思っております。「神を愛する」ことと「隣人を自分のように愛する」こと、これは聖書の心が凝縮されたメッセージです。この両者は不可分・不可同・不可逆な関係にあり、人が生きるための「規範」として真に重要だと思うのです。規範なき時代にあって人間の根底を支える「神を愛し、敬う」精神、また「隣人を愛する」精神を規範に据えて人づくりに携わるものでありたいと願っております。
〈九州学院理事長〉
キリスト教学校教育 2006年7月号1面