キリスト教学校教育バックナンバー
キリスト教Q&A
クリスチャン
宇野 緑
私たちの働く学校現場では、教職員を始め、生徒・学生をクリスチャン、ノンクリスチャンと大きく分けることができます。どちらがどうということはありませんが、より良くお互いを理解していくために、今回は、クリスチャンについて考えてみました。
Q1 映画や小説の中で多くのクリスチャンが登場し、さらに学校・職場でも様々なタイプのクリスチャンと出会いました。しかし、クリスチャンと一括りにしても言動も性格も人それぞれでイメージが一致しません。一体、クリスチャンらしい人って、どのような人のことなのでしょうか。
A 残念ながら、答えをひとつにはまとめられません。なぜなら、十人十色だからです。しかし、共通して言えることは、クリスチャンになるための試験に合格したわけではなく、また生まれながらにしてクリスチャンであったのでもなく、ただ「イエス様を信じて生きたい」と自分の信仰を公に告白した人であるということです。
その告白をスタートに、今までの人生を一八〇度回転させて「私と神様」の関係を第一とし、様々な方向へと歩んでいく人ではないだろうかと思います。感じ方や表現の仕方が人それぞれであるように、信仰の形にも様々な種類があってよいのではないでしょうか。人を裁くことは私たちにはできませんよね。
Q2 そもそも「クリスチャン」という言葉にはどのような意味があるのですか?
A クリスチャンという言葉は、イエス・キリストの使徒や使徒とみなされた人間の名誉を傷つける意味で使われました。日本でも「耶蘇」というのは蔑称で使われていました。また「耶蘇」は中国語で「エースウ」と発音し、イエスの当て字ですが「復活」の意味があります。歴史上最も古い記述は、新約聖書の使徒言行録11章26節にみられます。
ちなみに、Christianを辞書で引いてみると「立派な、称賛を得るに値する、人道的な、慈悲のある、人間らしい」という意味もあるようです。これは現実論なのか、理想論なのかは皆さんの判断にお任せいたします。
Q3 先日、学生から「私はクリスチャンになりたいのですが、洗礼(バプテスマ)を受けないとだめなのですか。だとすれば、学校で洗礼(バプテスマ)を受けられますか」と聞かれました。いったいどうすればよいでしょうか。
A まず、どのような出会いが与えられてそのようなお気持ちになったのかを伺いたいですね。前述しましたが「イエス様を信じて生きたい」という思いが大切です。そして、その思いを自分の心に留めておくのではなく、人々の前で信仰を告白することが必要で、その告白のしるしとして、洗礼(バプテスマ)を受けるのです。洗礼(バプテスマ)を受ければクリスチャンになれるのではありません。教派によっては儀式としての洗礼(バプテスマ)を行わないところもありますが、告白は必要不可欠です。
学校での洗礼(バプテスマ)についての質問があった場合は、チャンスです。ぜひ、近隣の教会を紹介してください。キリスト教主義学校は地域の教会と生徒・学生とをつなぐパイプ役でもあると思います。洗礼(バプテスマ)をスタートラインとし、神様と人とに仕えていく生活を始めてほしいものです。
〈恵泉女学園大学キリスト教教育主任〉
キリスト教学校教育 2006年5月号4面