キリスト教学校教育バックナンバー
新年度メッセージ
「キリスト教学校への期待」
久世 了
最近、経済雑誌などで私立学校の財務内容から経営の健全性を評価することが盛んに行われていますが、私は私立学校の将来性はもっぱらその学校がどれだけの受験生を集めているかから推し量ることが出来ると思っています。どんなに資産があっても受験生が集まらないようでは先細りは避けられず、逆に新規投資のために借入金がかさんでも、多くの受験生が確保できればいずれ財務内容は改善されると期待できるからです。
こういう観点から、私は毎年の受験シーズンに各学校の受験生の増減に注目しているのですが、今春の大学入試の場合、近年の傾向として全体的に受験生の減少が続いている中で、いくつかの私立大学が受験生を増やしていて、その大部分がプロテスタントもしくはカトリックのキリスト教大学である、という顕著な現象が見られ、大いに意を強くしています。
耐震強度偽装問題、ライブドア事件、防衛施設庁官僚の天下りと結びついた官製談合などなど、高学歴の人々が関与している不祥事の連発は、現在の日本社会のモラルの低下が底なしであることを物語っていると言わざるを得ません。結局は身の破滅につながる反社会的行為の誘惑の前にどうしたら踏みとどまることの出来る人間であり得るのか、換言すれば、正しいモラルをしっかりと身につけるにはどうしたらよいのか。この問いは、とくに教育を受ける段階の若い人々とその家族にとっては切実な意味を持つものとなっているのではないでしょうか。
少なくとも良識ある日本人ならば、国際化が進んだわが国において、国歌・国旗や「皇国史観」を盛り込んだ教科書など、日本という国の一員であることの意識にモラルの基準を求めることが、この問題の解決策にならないことを知っているはずです。そのことは当然に、より普遍的な倫理感を教える場を求めることにつながるでしょう。そのことが「キリスト教による人格教育」の旗印を掲げる大学への期待となり、上に述べたような受験生の動向に表れているのだ、と私は考えています。高校以下の段階の学校については全体的なデータが得られているには至っていませんが、しかし同様のことが言えるのではないかと思っています。
そうであるとすれば、キリスト教学校の社会的責任はますます重くなってきていることになります。キリスト教学校を担っている私たちは、唯一の主なる神の御旨をいっそう鮮明に証しすることが、まさに社会の期待に応える所以となるという時代に置かれていることになります。いまこの時、富と権力と名声を追い求める世俗的な価値に妥協することなく、私たちにふさわしい道をただ大胆に前進して行く決意を新たにしたいと思います。
〈明治学院学院長、同盟理事長〉
キリスト教学校教育 2006年4月号1面