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キリスト教学校教育バックナンバー

ブックレビュー
編纂委員会 日本YWCA100年史 1905-2005

関田 寛雄

 本書は一九〇五年に創立され二〇〇五年に及ぶ日本YWCAの「女性の自立をもとめて」という副題の付された歴史と年表の二冊から成っている。歴史の方は記念すべき写真の数々と共に、「第一部 二〇世紀と共に日本YWCAは誕生した(一九〇五~一九三六)」「第二部 戦時下、YWCAは試練にさらされる(一九三七~一九四九)」「第三部 平和のためにYWCAは行動した(一九五〇~一九七〇)」「第四部 『核』否定をYWCAは貫く(一九七一~二〇〇五)」と構成されている。それは近代日本の曙光と共に女性の自立への覚醒の始まりから、アジアに対する帝国主義日本の侵略の歩みの中で、特に「十五年戦争」下における試練の日々を克明に追って記録している。

 評者にとってとりわけ関心を持たされたのは第二部である。植民地時代における朝鮮YWCAの処遇、日中戦争下における中国YWCAとの関係など、国際性を旨とするYWCAが戦時体制下、苦渋に満ちた選択を迫られて行く歩みは項目毎に胸痛む記述である。植民地時代の台湾の状況についての記載が無いけれども、台湾にはYWCAは存在しなかったのだろうか、知りたい所である。会長植村環について歴史は語る、「しかし、現実の侵略戦争が神の御心に反するものだと明言して、国に抵抗することはしなかった。……戦争に巻き込まれることを不本意に感じながらも、抵抗せず、信仰だけは大事に守ろうとした、これが戦時中の植村環の説教であり、YWCAの姿勢であった」(67ページ)と。

 戦後の歩みは、あの軍事体制下のキリスト教団体として戦争協力に走った事の悔い改めと責任の表明から始まる。「YWCAと戦争責任」「植村環と戦争責任」の項(87~89ページ)は短くとも大切な部分であるが、しかし歴史は語る、「……植村は戦争の罪も認識していた。しかし、その時点では戦争協力をしたYWCAという組織の責任者としての意識はなかったのではないだろうか」(88ページ)と。

 明日に向かって責任的に生きるためには過去の罪責を見つめ直すことでその方向と内容を得なければならない。しかしその作業は自らを切開するような痛みを伴うものである。特定の個人を責める事よりもその歴史に参与したものとしての自覚からこそ新しい歩みが始められる。その意味でこの「100年史」は貴重な証言であり、キリスト教会やキリスト教主義学校の戦争責任を改めて問う書であり且つ希望の明日に向かって歩みを促す書になっている。

 一九七〇年前後の歴史は教会と大学を大きくゆさぶった時期であり、それはYWCAにも激流として押し寄せた。「全国学生YWCA解体」「学生部廃止」(129~130ページ)の部分は大学紛争を経験した筆者にとっても心痛む歩みである。しかし、解体の悲しみを越えて七一年にはじめられた「核否定」の思想に基づく「ひろしまを考える旅」(145~150ページ)が今日も続けられている事は涙が出る程、嬉しいことである。平和・人権・環境という全人類共存の課題につながるYWCAの歩みがイエス・キリストへの希望の故に益々祝されることを祈るものである。

〈青山学院大学名誉教授〉

キリスト教学校教育 2006年3月号6面