キリスト教学校教育バックナンバー
基調講演
関東学院の闘い方
松本 昌子
本協議会の主題は昨年に引き続き「キリスト教学校と経営」であり、これは全国のキリスト教学校に共通した課題であるのに、表記のような少々型破りな演題を掲げました。
これは本大学が一九六八~八八年の実に二十年に及ぶ大学紛争で、キリスト教大学のなかで文部省から唯一「紛争重症校」の指定を受け、神学部の廃止をはじめ壊滅状態になったキリスト教教育と活動を、不充分ながら他のキリスト教学校並みに回復してきたという固有の歴史をもつ大学だからであります。
不毛な紛争の経過を述べることは止めます。ただその結果が神学部の廃部、キリスト教概論と時間割からの全学礼拝時間の廃止等キリスト教関係に集中してしまったのは如何ともしがたい事実でした。
しかし、紛争の残した最大の変化は紛争の初期に、日本バプテスト同盟信徒の院長(理事長兼任)と学長の辞任を受けて寄附行為が改正され、その運用のための施行細則を適用し、一九七〇年以降の理事長、六八年以降の学長、常務理事(一人を除き)はすべてノン・クリスチャンになったという理事会構成の変化でした。関東学院理事の中枢は学院長を除きノン・クリスチャン(中高校長など理事の半数はクリスチャン)になりました。
理事会の保護という、いわば陽の当る場所にあったキリスト教活動が、大学の片隅で何とか生きていた時代、私は大学(文学・経済・工学部)で、ただ一人の宗教主事だったことがあります。
その時の私の祈りは、
(1)各学部一名の宗教主事の獲得
(2)礼拝堂の建設
(3)キリスト教学の必修化またはキリスト教関連科目の設置を実現 すること
でした。
当時の実情では、そのどれも実現不可能な途方もない夢のようでした。しかし、十数年後そのすべてが実現しました。これは奇蹟としか言いようのない事実ですが、その背後には、かつて在職された優秀な研究者、教育者にして熱心なクリスチャン教授の薫陶を受けた少数ですが現職の教授達の支えがありました。
週一回の昼休みの礼拝―薄暗い旧神学館の礼拝堂でオルガニストもいない―には、どんなに呼びかけても五名くらいの学生しか集まりませんでした。それを建て直す方法、キリスト教活動を学長を頂点とする大学の組織の中に組み入れる方法を、一人のノン・クリスチャンの教授が教えてくれました。
学生と礼拝を結ぶ接点はクリスマス、これを学長を委員長に、学生部長を通して文連・体連・自治会を動かし、大学あげての大イベントにするという方法でした。
それと、一九九〇年に礼拝堂ができたこと、さらに大学基準協会による自己点検をきっかけに、先述した教授達を中心に心ある教職員の間に本学の建学の精神を考える気運が芽生えたこと、歴代の学長の助力により宗教主事が与えられ、活動予算の増額が実現したこと等々の歴史をふまえて、大学のキリスト教活動は、どん底からここまで這い上ってきました。
大学が紛争に明け暮れていた間、キリスト教学校としての学院を支えてきたのは幼稚園から高校までの教育機関でした。二つずつの幼稚園、小学校、中学校・高等学校、と大学が五つのキャンパスにまたがっている本学院の状況は、教育面でも財政面でも困難なものです。
現在三常務理事を中心に、現代、この地域におけるキリスト教学校としての関東学院のミッションは何か、それを如何に実践するかを検討し、「教育の関東学院」を旗印にアピールすることを考えています。闘いは続いています。
〈関東学院 学院長〉
キリスト教学校教育 2006年1月号2面