キリスト教学校教育バックナンバー
新年メッセージ 「フリーター」のこと
畑 道也
最近の学生の中には大学を卒業してもすぐには就職しなかったり、せっかく就職してもすぐ退職してしまう事例が多く見られるようになりました。いやそれどころか当初から就職そのものを全く拒んでしまっている若者もいますし、ただ「何となく」大学院に進学してくる学生もいます。その点では従来の「小学校・中学校・高等学校・大学・就職」という学生の行動パターンが変化しつつあるように思えます。
このことに関して、韓国の大学で日本学を専攻している学生が、日本に来てフリーターと呼ばれる友人たちと話し合って、フリーター自体にはあまり問題はなく、むしろ問題なのはフリーターに対する親の世代の大人たちの見方の方で、今の若者に問題があると思ったら、先ず大人たちが自ら作った社会や生き方を深く見直す必要があるのではないかという内容の投書「フリーターを責める前に」を二〇〇五年十二月三日付けの毎日新聞に寄せています。そしてまた、大人たちは親として自分の子どもに、働いて家族を守り幸せになる姿を本当に見せてきたのかとも問うています。
戦後の混乱期やその後の高度経済成長期をひたすら走り抜いてきた大人たちの価値観や物の考え方を、そのまま今の時代の若者に求めることには無理があるのではないでしょうか。
学生が入学時から自分の将来を考え、そのためにいかに充実した学生生活を送るかを考える、いわゆるキャリア教育が必要になってきているように思います。そして大学で受けたキャリア教育は、その後も継続的に生涯にわたって支援されるべきであるとの観点に立つならば、卒業生への支援も大学の業務範囲とすることが必要になるでしょう。大学の教育活動が、これまで以上に広範囲に機能しなければならない時期にきているといえましょう。聖書にもとづいて全人教育をほどこすキリスト教学校こそ、生涯にわたるキャリア教育推進の場となるべきではないでしょうか。
ところで、「情報の世紀」といわれる今世紀の先進国と途上国の情報格差の解消を目指す「国連情報技術サービス」に、わたしどもの大学は「国連ボランティア計画」との協定により、昨年度から学生を途上国に派遣してきました。今年度の秋学期はネパールやモンゴル、フィリピン各地で男女九名の学生が、それぞれIT教育やウェブサイト、データベースの構築に取り組んでいます。しかし問題なのは、貴重な経験を経て成長し、帰国するこれら若者の活躍できる場が、まだ社会には用意されていないことです。
阿部次郎の『三太郎の日記』には「何を与えるかは神の問題、それをいかに発見し、いかに実現するかは人間の問題」とありますが、一人一人の人間の可能性を見つけ出し、それを育み、そしてそれが社会の中で適切に活かされる道を開拓していく努力こそが今もっとも必要だと痛感させられています。
〈関西学院院長、同盟理事〉
キリスト教学校教育 2006年1月号1面