キリスト教学校教育バックナンバー
鎮西学院
諫早市民クリスマスコンサート
山城 順
ほとんど全員合唱の「ハレルヤコーラス」でフィナーレをかざる鎮西学院諫早市民クリスマスコンサートは、諫早で数あるクリスマス期の文化イベントの中で特色を打ち出している。
第一部は幼稚園の小ページェント、留学生の母国語による「きよしこの夜」合唱、朗読の会の学生による聖書朗読、メッセージ、讃美、高校コーラス部の賛歌によって行われる。
第二部は、九州大会で金賞常連校となっている吹奏楽部を中心に、近隣の中学校、高等学校の吹奏楽部を招待し、諫早混声合唱団の賛助出演をいただいている。また卒業生の中から(今年はフルートの)ソリストを招待している。プログラムの全体に卒業生の手話通訳ボランティアがつき、会場の雰囲気をあたたかくしている。
鎮西学院諫早市民クリスマスコンサートの歴史
長崎にあった鎮西学院は原爆によりまだ新しかった西日本屈指の鉄筋四階建校舎をうしなった。諫早に移転して戦後の歩みをはじめた。男子校から共学に変わり、新日本の将来をになう人間づくりを、広大な九万坪の土地(元三菱ゴルフ場跡地を取得し)で、酪農経営による労作と学習を柱とした教育によって、スタートした。それは貧困と混乱した日本社会のなかにあって、土を耕し、種をまくような困苦の出発であった。
さらに、一九五七年諫早を襲った集中豪雨による大水害がおこり、幸い高台にあった校舎は失われなかったが、六名の生徒を水害で失い、家族、近親の被害者は数倍にもなった。全国規模の救援募金が行われた。キリスト教学校教育同盟校からの物心両面の支援があった。またアメリカメソジスト教会からの援助にも励まされた。支援金は学業困難となった生徒の学費のための奨学金に充てられた。
このような時代に諫早教会林田秀彦牧師の呼びかけにより、諫早教会と鎮西学院の有志によって諫早市民クリスマスが始められた。公民館を満員にし、諫早市民の心をうるおした。中断した時期があった。鎮西学院創立百二十年を機に、「諫早市民クリスマス」が復活した。
鎮西学院クリスマスの二つの意味
「諫早の文化を生み出していく」と林田秀彦院長はいう。文化会館でクリスマス期に多くの催があるが、真のキリスト教クリスマスの公演という点で、諫早の文化に貢献できると言える。
もう一つの意味は、地域に出て、地域の評価によって鎮西学院の幼稚園、高等学校、大学の一体性・アイデンティティを形成する。ともすれば、幼稚園、高等学校、大学がそれぞれのプログラムを行い、優劣を競って、互いをよく知るとか、協力を見失ってしまいがちである。学院行事(元旦礼拝、原爆祈念日、クリスマス)に全学院が集まり、一体となっていく。一体性形成こそ時代を生き抜く力となる。鎮西学院諫早市民クリスマスコンサートの試みは緒についたばかりだといえる。
〈長崎ウエスレヤン大学宗教主事〉
キリスト教学校教育 2005年12月号4面