キリスト教学校教育バックナンバー
第38回中高聖書科研究集会
人をはぐくむキリスト教学校
-共に祈る生徒と教師
野田 美由紀
第三十八回中高聖書科研究集会は、松山城南高校を会場として十月十七日~十八日の二日間で行われた。会の主題は「人をはぐくむキリスト教学校――共に祈る生徒と教師」ということで、会場校である松山城南高校の全面的な協力の下、全国から二十九名の参加者が集まって学びと交わりの時がもたれた。
初日はまず磯貝委員長(静岡英和)の挨拶の後、チャペルで開会礼拝を守った。松山東雲中高の辻村佳子氏が説教を担当し、松山東雲の創立の経緯から、現代において聖書を学ぶ(教える)意味について語られた。
続いて、松山城南の相澤弘典教諭が研究授業を行われた。対象は調理科の高校三年生で、マタイ福音書の「ぶどう園の労働者のたとえ」を取り上げ、同校の創立者西村清雄氏の愛した聖句「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」にある「神の国」とは何か、という問いかけの下に授業が展開された。「神の国とは、飢える人がいない、誰もが生きられる世界」という説明が、学校の創立者の志と重ね合わせて語られ、貧困のために教育を受けられずにいた子どもたちのために建てられた学校、という松山城南高校の原点が確認される授業であった。教室いっぱいに見学の聖書科教師たちが囲んでいる中にもかかわらず、授業でのやりとりは和やかで、日頃の教師と生徒の信頼関係が感じられた。
その後、研究授業を振り返ってのセッションが行われた。たとえをわかりやすく説明した方法や聖書そのものの解釈についての評価や議論が交わされ、途中から参加者の自己紹介をまじえて多くの感想・意見が交換された。全体として、それぞれの教師が自分の置かれた学校現場で聖書のメッセージを生徒の現実に触れるものとしてどう伝えるかという課題に苦心していることが感じられた。
一つのテーマを五十分の授業の中で完結させることは困難だが、今回の研究授業の目的は学校の創立の精神を教えることであり、限られた時間の中で建学の精神をよく語っていた、という評価がなされた。授業を担当された相澤教諭の、生徒がかわいくて仕方ない、という発言が印象的であった。
その後校内を見学させて頂き、宿舎であるメルパルク松山へ移動した。
夕食を兼ねた懇親会でも自己紹介と感想の続きが語られ、またテーブルごとに学校の様子やキリスト教教育の現状について親しく話し合いがなされたようであった。
翌十八日には、朝の学校礼拝に参加するところからプログラムが始まった。松山城南の相澤教諭が、マタイ七章24~27節の聖書に基づいて説教をされた。同校では礼拝の月間テーマが定められ(十月のテーマは「自分を見つめる」)、一週間同じ聖書テキストで礼拝がなされるということであった。礼拝は学年ごとに行うということで、当日は高校一年が礼拝堂に集まっていた。短時間ではあるが、礼拝が大切にされていることが感じられた。
この日の研究授業は、福祉科三年生のクラスで、静岡英和の大久保直樹教諭が担当された。I was bornという詩を紹介し、自分の誕生以来これまでの生を振り返って評価するという作業を生徒にさせるなど、自分の生が「生まれさせられ、生かされている」ものであるという受動的なものから「生かされて生きる」という能動的なものに発展していくことを創世記二章の記事と合わせて考えさせ、その生をどのように生きるのか、という問いかけに聖書からの答えを示そうとする授業であった。
初めて対面する生徒たちへの一回限りの授業ということで、担当者の苦心が伝わってきたが、それにもまして、生徒たちが素直に授業に臨んでいる姿勢が印象的であった。
授業後の分かち合いの時間には再び研究授業を中心にした質疑や意見交換が活発になされた。様々な葛藤を抱え、時には傷を負っている生徒たちに聖書の授業としてどのようにアプローチできるか、という問題は聖書科教師の誰もが共有するものであり、祈りと工夫が必要なことを感じさせられた。
その後、授業見学ということで、調理科の実習の様子を見せて頂いた。指導される先生の説明を聞き、また手際よくきびきびと働く生徒たちの姿に感銘を受けた。
松山城南高校は普通科のほか調理科、福祉科、商業科、看護科という専科をもち、授業の様子もそれぞれに違いがあるという話を聞いたが、研究授業や校内見学で直接目にした生徒たちには共通して温かい雰囲気を感じた、というのが多くの参加者の感想であった。また、あらためてその多様な生徒たちが一つになる場としての礼拝の意義を感じさせられた。
お昼には調理科の生徒たちが早朝から準備したという豪華なお弁当を頂き、一同感謝した。
最後に会全体に対する感想を述べ合う時間をもったが、他の学校を訪れて授業を見学し、礼拝に参加してそこの生徒たちの様子を直接知るということの意義については多くの声があった。
日頃それぞれの現場において一人あるいは少数で授業や宗教行事などを担っている聖書科の教師にとって、このように学び合い、新しい刺激を受ける機会である研究集会の果たす役割は大きいことをあらためて実感した。
全国からの参加ということで二日間の日程は厳しい(短い)という意見もあったが、学期のさなかに学校を挙げて研究集会に協力して下さり、温かくもてなして下さった会場校の松山城南高校に対しては、特に感謝の声が高かった。
〈フェリス女学院中学校・高等学校宗教主任〉
キリスト教学校教育 2005年12月号3面