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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

ツアー

横浜市内のキリスト教史跡を巡る

岡部 一興

 大学部会の案内を頂いたのは八月上旬のことであった。プログラムには、「人を育むキリスト教学校―横浜バンドに学ぶ―」、講演者は海岸教会の久保義宣牧師と記されていた。そして、横浜市内キリスト教史跡巡りツアーの依頼書が同封されていた。

 私はキリスト教史跡巡りをどこにするか色々考えてみた。というのは、バスを使わずに史跡巡りをするので雨が降った場合どうするか、そして何よりも九月八日というと残暑きびしい季節であるので長く歩くことはできないことがあった。

 史跡ツアーに参加者された方は、ほとんど全員出席で五十名余りであった。

 一番はじめに訪れたのは山手にあるフェリス女学院中高等学校で、カイパー記念講堂を見学し、田部井副校長の話を聞いた。この学院は、一八七〇年九月ミス・キダーがヘボン塾の女子生徒を教えたのが始まりで、女子に新教育を施した最初の学校である。私たちが見学したカイパー記念会堂は、関東大震災で校舎が倒壊、校長のカイパーは出られず殉死、壊滅的な打撃を受けたが、シェーファー校長のもとで再建に取り掛かり、その時カイパーの死を記念して礼拝ができる講堂を建てた。現在の講堂は最近建てられたもので、中高の千名余の生徒全員が一緒に礼拝を捧げることができる広さを持っているとのことであった。

 その後、横浜で一番早く創立された外国人のためのプロテスタント教会であるユニオン・チャーチをみて雙葉学園小・中・高等学校の前を通り、横浜山手聖公会にたどり着いた。この時は工事中で屋根が葺き替えられて十一月には聖堂復興感謝会を行うということを聞いた。

 横浜外国人墓地では、宣教師のこの地における働きを覚えるためにキリスト教主義学校に関係ある人々の墓参をした。

 主な見学場所をあげると、関東学院と関係あるバプテスト教会のN・ブラウン夫人の墓、横浜共立学園のJ・H・ピアソン、J・N・クロスビーの墓とクララ・ルーミスの記念碑、フェリスのM・E・キダー、J・A・モートン、林貞子の三人が並んだ碑、青山学院関係ではR・S・マクレー夫人、I・H・コレル、雙葉学園と関係深いM・M・マチルド等であった。

 また牧師ではJ・H・バラ夫人のマーガレット・バラ、アメリカ長老派宣教師のH・ルーミス、そして草創期のYMCAに関係し、英語教育に貢献したJ・T・スウィフトなどの墓参をした。ルーミスの墓の前では、讃美歌に貢献したルーミスを偲んで彼が広めた「主われを愛す」を合唱した。

 墓参後海岸教会において閉会礼拝を行い、午後には別のツアーを組んだ。希望者は八名ほどであったが、暑いなかよく歩いた。カトリックの横浜天主堂跡、ヘボン邸跡を見学、山下公園から横浜税関を通って赤レンガ倉庫の建物を見て、みなとみらい21の新港地区にあるララ物資の碑を見学した。

 このあと海外移住資料館を訪ね、最後にみなとみらい駅近くにある造船所のドック跡を見学して解散した。二時間余カンカン照りの暑いなかよく歩いたという感じで、久しぶりで大量の汗をかきながら研鑽の時を終えた。

 蛇足になるが、今回の研修では先生方に失礼なことをしてしまったのではないかと思っている。第一日目のプログラムの中に夕食後「全体会」があった。久保義宣先生は、講演のあと祈祷会があり「全体会」に出られないので、講演に続いての質問に答えられないのでお願いしたいということは聞いていたが、通知を頂いた時プログラムには司会の先生の名前が掲載されているだけで、私の名前が書かれてないので私が一人で対応しなくてもよいのだと考えていた。ところが全体会では、司会の嶋田順好先生の隣に座らされて私一人が話しをする形をとった。事前に久保先生と打合せをし、プリントを用意すべきであったと思ったが後の祭り。その意味で出席者には大変申し訳ないことをしたことをこの場でお詫びする次第である。

 そこで、私は三十分余横浜バンドの背景になる日本基督公会についての話、そして一時公会と一緒に礼拝を持ち公会の運動に参加したかに見えた長老教会である横浜第一長老公会の動きについて話をさせてもらった。色々の質問と意見が出たが、横浜バンドは熊本バンドや札幌バンドのように「奉教趣意書」や「イエスを信ずる者の契約」に署名した集団という明確な群れではないところに横浜バンドの規定の難しさがある。横浜バンドは、日本基督公会を形成した集団で、その多くがS・R・ブラウン塾で学んだ青年の一団でもあった。

 毎年大学部会の研究集会がこのように開かれて研鑽を積んでいることは素晴らしいことである。キリスト教主義教育をどう展開していくかという永遠のテーマに真剣に向き合う先生方の姿をみた時に、この研究集会で学んだことが各学校で語られ、さらに、来年の集会へとつながって拡大発展していくことを祈ってやまない。

 プロテスタント・キリスト教が日本に伝えられて一世紀半が経過し、二十一世紀に生きる私たちがキリスト教が伝えられた横浜の地でこのような集会を持つことができたことは意義あることと思われる。

〈日本基督教団横浜指路教会長老・明治学院大学非常勤講師〉

キリスト教学校教育 2005年12月号3面