キリスト教学校教育バックナンバー
聖書のことば
鬼形 恵子
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1・23)
十年くらい前のこと、私が顧問をしているYWCAというクラブで、学校の近所に住むHさんのお宅を訪問していた時期があった。Hさんは難病のため首から下が動かないという状態であったが、入院せず自宅で自分らしい生活をおくることを希望して、教会や近隣のボランティアの援助を受けながら一人で生活されていた。Hさんから夕方のお薬をさしあげる仕事を依頼され、YWCAの生徒達は毎日当番を決めて訪問した。Hさんの人柄に触れて、親しくなる生徒もいた。Hさんの体調が変わり、一年ほどでその活動は終わった。
今年の九月にHさんが亡くなられ、教会での告別式に出席した。連絡をくれたのは、その頃YWCA部員であった卒業生だった。彼女は、中学生の当初は恥ずかしがって積極的ではなかったが、しだいに老人ホームでのボランティアにもよく参加するようになり、Hさん宅にも熱心に訪問していた。卒業後は理学療法士の資格を取り、今は病院で働いている。在学中から教会へ行くようになり、今も教会生活を続けている。告別式には、その頃の卒業生が数人参列していた。朝からご遺体にも付き添っていたという。Hさんの死は哀しいことだったが、卒業生たちのその姿に、私は心があたたかく慰められる気がした。キリスト教学校の生徒達といっても、必ずしも教会に行っているわけではないし、在学中キリスト教に反発を持つ生徒もいる。それでも学校で過ごす生活の中で、そんな生徒一人一人と主は共にいて下さって、長い生涯の土台となるものを与えて下さっているのだと感じた。
クリスマスの日、「神は我々と共におられる」ことをその生涯をかけて示すために、イエスは私達の世に誕生して下さった。どの生徒と向き合う時にも、そこにイエスが共にいてくださるということを、このクリスマスの時に改めてまた覚えていたいと思う。
〈横浜英和女学院中学校・高等学校聖書科教諭〉
キリスト教学校教育 2005年12月号1面