キリスト教学校教育バックナンバー
聖書のことば
山田 耕太
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25・40)
マタイ福音書でイエスの最後の説教(24、25章)の結論で語られる「羊と山羊の譬え」の中の有名な言葉である。
「飢えている人に食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」人々は羊に譬えられ、そうしなかった人々は山羊に譬えられる。意識せずに最も小さい者にしたことが、そのままキリストにしたことになる、という譬えである。
この言葉は、古代イスラエル社会で最も小さい者であった「寄留者、寡婦、孤児、貧しい者」の人権を護る憐れみ深い正義の神、というヘブライ人道法に遡る(出エジプト22・20‐26)。
また、「飢えた人にあなたのパンを与え、さまよう貧しい人(ホームレス)を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」という「正義」が支配する国という預言者イザヤのヴィジョンが実現されている(イザヤ58・7-8)。
「羊と山羊の譬え」は、古代から中世を橋渡しした修道院の最初の規則で、近現代の欧米社会の共同体論や組織論に深い影響を与えてきた紀元六世紀の『ベネディクトの規則(聖ベネディクトの戒律)』による祈りと労働を中心にした愛の共同体の根底にある精神である(4、36、37、53章)。また「靴屋のマルティン」としても知られるトルストイの民話「愛あるところに神あり」の源であり、マザーテレサの活動の精神的な動機ともなっている。
この隣人愛を実践する言葉は、生産性・効率性・採算性を重視する産業社会の競争社会から、知識・情報・サービスを重視する産業後社会の共生社会へ移行しつつある現代社会においても、時代を越えて変わることのない価値観・倫理観の源である。
〈敬和学園大学共生社会学科長〉
キリスト教学校教育 2005年10月号1面