キリスト教学校教育バックナンバー
第75回夏期研究集会
野々村 昇
本年度の夏期研究集会は7月28日~30日、御殿場・東山荘で開催された。参加者は33法人より83名であった。
主題講演
人をはぐくむキリスト教学校―その理念と実践―
会長 野々村 昇
1.「はぐくむ」を考える
二〇〇四・二〇〇五年度教研テーマにおいても、今回の研究集会主題においても、「はぐくむ」という表現が用いられた。まず、この言葉の意味を考えてみたい。辞書(たとえば小学館の『日本国語大辞典』や岩波書店『広辞苑』)は、〈羽包むの意味〉と解説し、「親鳥がその羽で雛を覆いつつむ」という意味を最初に挙げている。庇い護りつつ伸長させるという意味合いを持つ言葉であるということになる。
この「はぐくむ」は、キリスト教学校の営みとどう関わるのだろうか。詩編91・4には、「神は羽をもってあなたを覆い 翼の下にかばってくださる」という言葉がある。まさに「はぐくむ」の原意が表現されており、「はぐくむ」とキリスト教の親近性を予想させる一節である。その内実をもう少し探って見よう。
ドイツの教育学者ボルノウは、一九六五年に著した『教育を支えるもの』(原題は「教育的雰囲気」)のなかで、こう述べている。
「子どもから見て、教育を支える一連の雰囲気的条件の最初に位するのは、子どもを保護する家庭環境である。そこには、信頼され安定感を与えるものから放射される感情がみちている。」
この感情を彼は「被包感」と呼ぶが、これはまさに「はぐくみ」から醸成されるものである。
しかし同時に彼はこうも指摘する。
「子どもの独立性が増すにつれて、いかに助力を惜しまぬ最良のおとなさえも完全ではないことが明らかになってくると、かの無条件の信頼も、やがて崩壊せざるをえない。」
この成長にとって必要な変化に対して、教育が果たすべき新たな課題は、「起こりうるすべての幻滅の彼方で生活に恒常な拠りどころを与える存在と生に対する新しい一般的な信頼へ子どもを導いてゆくことである」。これこそが「宗教教育の根本問題である」と彼は言う(以上、森昭・岡田渥美訳による)。
幼児期から児童期を経て思春期へと成長する過程で、信頼の根拠が「見えるもの」から「見えないもの」へと移行する、その手引きをすることが教育、とりわけ宗教教育の大切な責務であると――ボルノウに共感しつつ――私は思う。そしてこの一連の営みを貫くものこそ、あの「はぐくみ」にほかならないことを再認識したい。
2.生涯学習と一貫教育
「はぐくみ」は、ある年齢期の人間だけを対象とするものではない。誕生から死までの「一生」を貫く営みである。また学校だけの営みではない。家庭、職場、地域社会での営みでもある。それでいて「はぐくみ」の対象は「同一の」人であるから、それら多様で多彩な営みの間に何らかの「統合」が担保されなければならない(生涯教育の提唱者の一人であるポール・ラングランは、教育の諸々の営みをシステム化する努力が必要であると指摘している)。ここ四十年ぐらいの間に普及してきた生涯学習や一貫教育の原理的根拠はここにあると私は思う。生涯学習にしても一貫教育にしても、既に各学校において実行されている。この後の分団協議でそれぞれの実例を出し合い情報交換・意見交流をしていただきたいと思っている。(私が勤務校で最近経験した公立中学校との交流の事例を紹介したが、紙面の都合で省略)。
3.価値観の多様化か喪失か-現代教育が直面する問題
この数年、学力低下問題が社会の関心をひいてきたが、私はそれ以上に、価値観の実状が気にかかる。教育のなかで学習者一人ひとりはどういう価値観を形成しつつあるのか、いな、価値観ははたして形成されているのか、という問題である。
私の勤務校である活水女子大学では、週に一回四十五分間の「チャペルアワー」を全員参加のもとで行っている。学生一人ひとりが自分の価値観を吟味し形成していく貴重な時間と場である。宗教主任、宣教師、院長、学長、教職員、学部長、教会の牧師、学生等が礼拝のメッセージを担当するが、そこで直接、間接に提示される価値観に触れて学生各自が自分のそれを省み形成することは大切なことであると思う。
4.キリスト教学校の理念と使命
昨年、加盟各法人の「建学の精神」が集められ冊子にまとめられた。共通性と個性の両面がうかがわれてとても興味深い。共通性については、同盟の中で更に追究して確かなものを突き止める努力をすべきである。理念の共通性が確認できれば、加盟学校間の教育的連携にいっそう弾みがつくと思う。
また、創立時とは異なる状況の中で「建学の精神」をどう継承していくか、今の時代にどのような理念を形成するのか、という課題にも真剣に取り組む必要がある。(活水学院でのこの取り組みについて事例報告したが、紙面の都合で省略)。
5.キリスト教学校の実践
理念と使命は実践を通して実現されなければならない。そのためには、カリキュラム、人間関係、組織、社会との連携、といった事柄が不断に吟味され、改善される必要がある。このことについては、分団で事例を出し合って大いに論議していただきたい。プログラム合間の語らいでも交流して欲しい。それがこの夏期研究集会の開催意義でもある。
〈活水学院院長、活水女子大学学長〉
キリスト教学校教育 2005年9月号1面