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新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

ブックレビュー
依田直也・依田和子著
「愛は決して滅びない」

川田 殖

 わたくしどもの学校(日本聾話学校)には、その名を「ライシャワ・クレーマ学園」という、難聴幼児通園施設がある。この片仮名の前半は、オーガストおよびヘレン・O・ライシャワー両先生のことで、こんにちの明治学院大学や東京女子大学などの運営と創設にあずかった学者、宣教師として、伝記もある著名人である。

 しかしこの片仮名の後半は、今や知る人ぞ知るというべき人であるが、本書の中心人物であるロイス・F・クレーマー先生である。先生は一九一七年(大正六年)九月、米国福音教会宣教師として、キリスト教幼稚園の仕事のために来日された。そして日本に口話法の聾学校をというライシャワー夫妻の祈りと熱意に応えて日本聾話学校の設立に参画し、専門的な経験と信仰にもとづいた力強い愛をもって、四十年近くにわたって、同校教育上の実質的中心となるとともに、本命の幼稚園教育にも力を注がれた。

 このような大恩のあるクレーマー先生であるが、「右の手のわざを左手に知らせるなかれ」とのイエスの言葉のように、先生はご自分の歩みの跡を当時の子どもたちの心の中以外にはほとんど何ものをも残すことなく、日本を去られた。その足跡は今まで杳として知られず、本校の歴史のいわば欠史のままに残されていた。しかるにたまたまハーヴァード大学で研究されていた著者が、クレーマー先生のご遠戚に出会い、先生の知られざる足跡が明らかになった。実に先生逝去後四十年ののちであった。

 本書のプロローグの部分「いま、なぜロイス・クレーマーさんなのか」には、著者とクレーマー先生との「出会い」にはじまり、そこから受けた感動が、いかにして、どのような内容の書物を生み出すに至ったかが、太い線で描かれている。

 次いで展開される本書全四部、全七章には、一九一七年(大正六年)から一九五七年(昭和三十二年)にいたる、日本にとっても、世界にとってもただならぬ激動の時代に、国境を越え、民族をこえて、祈りに導かれ、愛のわざに生き抜いた一人の人間ドラマが克明に記されている。 

 クレーマー先生が日本を離れてから、やがて五十年、わたくしどもの学校も、その後、幾多の変遷を経験してきた。

 しかし、このような状況の中でもわたくしたちの行くべき道は、かつてクレーマー先生が祈りと愛をもって実践した、教師と子ども、教師と親との信頼関係の成長を土台とする以外にはありえない。その意味でもクレーマー先生は、たえず「想起」されるべきモニュメンタルな存在なのである。

 わたくしたち日本人は、どちらかといえば、自然に対する感覚は比較的豊かであるが、歴史に対する意識は低いのではないか。歴史から学ばず、気がついてみれば、いつか犯した失敗をまた繰り返している。この弱点はどうしたら克服することができるか。

 わたくしは思う。それは単なるスローガンの連呼や、行事の反復によるだけでは不十分である。むしろ人格的出来事のなかで、与えられた感銘と反省をたえず「想起」し、日ごとに現在化することによって、それは可能なのではないか。そのためには、本書の主人公(ロイス・クレーマー先生)のようなインパクト(衝撃的影響)を与える存在が、そのきっかけとして極めて大切であると思うのである。

 ほんとうの「出会い」、それは今まで何でもなかったものが、かけがえのないものに変わることである。この変化は、やがて自分のものの見方を変え、価値観や人生観を変え、新しい人間誕生にまでいたる。さらには人間関係を変え、新しい社会誕生のきっかけにさえなるだろう。

 それはまさに人生におけるひとつの革命的出来事である。著者がこのような心をこめて書かれた本書を読まれた方がたが、己がじしこのことを経験し、心の、また人生の新しい窓を開かれるようにとは、著者ご夫妻とともに、また筆者(わたくし)の心からの希いである。

〈日本聾話学校校長〉

キリスト教学校教育 2005年3月号6面