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新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

聖書のことば

三上 章

「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上もない喜びと思いなさい」(ヤコブ1・2)

 「いろいろな試練に出会うとき」とありますが、私たちは人生においていろいろ困ったことに出会います。愛する人との死別、病気の不安、お金の心配、仕事の心配、人間関係のあつれき、突然の事故などです。 

 そのようなとき、私たちは苦しみもしますし、悲しみもします。もちろん、悲しいときには悲しみを表していいですし、苦しいときには苦しいと言っていいのです。苦しみや悲しみをため込むのは、健康によくありません。
 ただし、いつまでも悲しんだりクヨクヨするのは、賢明ではありません。なぜそうなったかについて熟慮すると共に、対処法を一刻も早く考えることが大事です。たとえば、ひどく転んでケガをしたような場合、痛手を受けたところを抑えながら、いたずらに泣き叫ぶことに時を過ごすことなく、傷んだところはこれを治療し、倒れたものはこれを立て直して、医療の力で嘆きを消し去ることへと一刻も早く向かうように、心がけなさいと、昔の知者は言っています。

 この手紙の著者は、さらに上を行きます。困ったことに出会ったら、「この上ない喜びと思いなさい」と言います。にわかには受け入れがたい言葉です。しかし、なぜヤコブはそう言うかといいますと、彼は困ったことがらを「試練」として受けとめるからです。試練は読んで字のごとく、試して練るの意味です。困ったことがらは、けっしてマイナスだけのものではなく、かならず人間を試して練るというプラスの面をもつということです。それが試練の目的かどうかはわかりませんが、少なくとも試練の結果、あとからそういうことだったのかとわかる場合があります。「この上ない喜び」とは、快楽や幸せの喜びとは性質が異なる、精神性を帯びた喜びなのだと理解し信じたいと思います。

 そう考えますと、試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさいという言葉は、受け入れるのに価する言葉だと思います。

〈北星学園大学・北星学園大学短期大学部チャプレン〉

キリスト教学校教育 2005年3月号1面