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新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

ブックレビュー:青山学院創立130周年を記念して
棚村 恵子著
しなやかに夢を生きる
-青山学院の歴史を拓いた人  ドーラ・E・スクーンメーカーの生涯-

東方 敬信

 横浜の小高い丘にある外国人墓地を訪れると、日本の近代化のためにこんなにも多くの外国からの働き手があったことに、いまさらのごとく驚きを覚える。宣教師だけでなく数多くの教師たちや技術者たちのお墓が立っているからである。それだけでなく、人々の心には、様々な文化的影響力をもつ言葉も残されている。日本の社会において、札幌農学校のクラーク博士の「ボーイズ・ビー・アンビシャス!」という若者たちを励ます言葉は、今でもごくふつうの人々の口にのぼる代表的なものとして残されている。しかも、そのクラークの日本滞在はたった八ヶ月だったというのであるから、出会いというのは不思議な力をもっているものである。あえて言えば、神の用いられた時と言うべきなのであろう。本書を読む者も、そのように感動を覚えるにちがいない。

 青山学院の創設者の一人ドーラ・E・スクーンメーカーについては、一八七四(明治七)年弱冠二十三歳の若さで日本の女子教育のために単身来日したと紹介されるが、その全生涯については詳しく触れられてこなかった。ところが、このたび棚村恵子氏のおかげで、彼女について、極めて詳細に、また実像に迫る勢いで、知ることができるようになった。このことは日本のキリスト教界にとって、まことに幸いである。なぜなら、一人の女性宣教師を通して、日本社会を客観的に見る機会を与えられ、さらにキリスト教と日本文化について、日本におけるキリスト教教育の今後についても、豊かな洞察を与えられるからである。「歴史家の役割は、全身全霊を傾けて過去と格闘する知的な営みだ」という立場から、さらに神学的、宗教学的アプローチを加えて、本書を書き上げた同氏の情熱に心から感謝したい。彼女の滞在は、クラークより長いとはいえ五年間であり、日本の地に骨を埋めるというやり方ではなかった。だが、その期間は、苦渋に満ちたしかも最も生産的な時期であったと言える。しかも、その後の生涯も、精神的に言えば、宣教師としての姿勢は変わらないものがあったというのである。

 本書は、ドーラ・E・スクーンメーカーの生涯をその使命の段階に応じて三つに分けている。彼女が神のドラマを演じるキャラクターとして、その使命を果たした各ステージにおける物語としてまとめられていると言ってよい。彼女は第一幕の二十九年間において、イリノイの小さな世界で宣教師になるという大きな夢を抱き、それを追い続けて遂に日本の地で海岸女学校を設立するまでに至ったのである。第二幕は、日本から帰国してシカゴを舞台とした二十七年であり、弁論術を教えるヘンリー・ソーパーと結婚して、間接的かもしれないが海外伝道を弁論術によって支えた時期である。そして、第三幕は、ロサンジェルスにおいて海外宣教を縁の下で支える献金の係としてつつましくしかし平安な老年を過ごした物語となっている。

 本書は、精神医学者であるフランクルの印象的な言葉を引用して、「人は自分から人生の意味を問うのではなく、人生の方から問いを提起してくる。その問いに責任的に応答することによって、意味ある固有の一回限りの人生が生まれる」という言葉から始まる。これは、そのまま第一幕の幕開けの、スクーンメーカーが少女時代にある書物と出会い、人生からの問いに答え宣教師を志したことに結びつくのである。一八五一年生まれの彼女は、宣教の世紀と言われる一九世紀の息吹の中で霊的人格的に成長したのである。

彼女にとってチャレンジングであったのは、やはり一八七四年に横浜に到着してからの労苦である。言葉も不自由であり、生活習慣も精神風土も異なる世界に果敢に飛び込んでいく彼女は、築地の居留地に留まるのではなく、積極的に外の世界に出て行って、教育活動に、宣教活動に邁進した。だからこそ、ある邸宅の一部を借りての少数教育であり、寺の一部を借りての英語とキリスト教の教育であったのである。本書にはアメリカ式の生活を押し付ける部分での失敗の経験も指摘されているが、このような涙ぐましい努力があったからこそ、開国したばかりの日本社会にキリスト教教育が根付いていったのである。局面は異なっているが、学問が高度に世俗化し、少子高齢化によって経営が厳しくなっている今日のキリスト教学校においても、このような積極果敢な姿勢は求められるのではないだろうか。

 第二幕においては、帰国した彼女が、結婚して妻となり一児の母となり、マックス・ヴェーバーの「世俗内的禁欲」という言葉も引用されているが、雄弁学校の共同経営と教会と家庭での信仰生活が記されている。この部分から、私たちは、宣教師たちの活動を支えた草の根のキリスト者たち、教会の活動を知ることができる。そして、宣教における裾野の広がりがいかに大切であるかを考えさせられる。

 第三幕では、夫を失う悲劇を経験するが、様々な実りを与えられ、静かで穏やかな晩年を知らされてほっとする。

 このように時代背景も描かれ、神のドラマの使命に生きた一人の人物の労苦と喜びが見事に描かれている。ぜひ本書の歴史的ドラマを味わっていただきたい。

〈青山学院宗教部長〉

キリスト教学校教育 2004年11月号4面