キリスト教学校教育バックナンバー
各地区の夏期行事
西南地区
信仰・希望・愛に生きる教師
第54回夏期学校
第44回新任教オリエンテーション
蓮田 圭四郎
「人をはぐくむキリスト教学校―建学の精神を共に担う―」を主題に、夏期学校と新任教師オリエンテーションを合同で八月三日~四日にかけて長崎ワシントンホテルで開催、参加者は八十一名でした。
開会礼拝は夏期学校校長の地区代表理事徳永徹先生(福岡女学院理事長)、朝の礼拝は牧師の井上大衛先生(活水学院宗教主任)、閉会礼拝は地区理事の寺園喜基先生(西南学院院長)がそれぞれ担当しました。
新任教師オリエンテーションでは、林田秀彦先生(鎮西学院理事長・院長)が「キリスト教学校の教師の喜び」―Servant Leader‐ship―と題して、この職のために選ばれた教師としての召命感を持って、建学の精神を基として子供たちをonly one for otherとしての力をつける教師に、また見張る目でなく、見守る目で生徒主体の論理で自らを高めて教育の喜びを体験する教師にと話されました。
夏期学校の講師は、日本国際飢餓対策機構総主事の神田英輔先生でした。
初日は、開会礼拝に続いて、神田先生の講演Ⅰと六グループに分かれて懇談Ⅰを行いました。
講演主題「二十一世紀人類最大の課題『飢餓』」
講演Ⅰ「飢餓の現状と今後」
飢餓とは、健康な体を保つのに必要な食べ物を食べられなくて栄養が足りない状態が長く続くことで、旱魃や戦争による突発的で急激な一過性の経済的危機により食糧供給が滞り発生する経済的飢餓(10%)と貧困や低い農業生産力などにより長期にわたって食糧供給が滞って起こる構造的飢餓(90%)の二種類がある。
飢餓による死亡者は年間千五百万人、一日四万人、一分間で二十八人(二十一人は子供)と驚異的な数字で、その多くは発展途上国の人々です。
では、飢餓の原因は何か?政情不安、貧困、食料不足、人口増加等が上げられるが、根本は食料の分配の不平等に起因している。市場経済の原理では富める所に食料は集まる。
日本の穀物自給率は23%だが、外国から輸入しているから飢餓がないばかりか、飽食の状態にある。家庭ゴミの42%は生ゴミ、その中の30%は手付かずのまま、日本の飽食は、途上国の人々を飢餓に追い込んでいるが、これは新しい形の植民地主義で、海外の土地と水に支えられているのが今の日本であると指摘されました。
このように、飢餓の原因は、人間の自己中心と力・富こそが人を幸せにするという価値観にある。
そこで、ミッションスクールは、聖書の世界観を提示して、自分のことだけでなく、他の人のことも、人の前にではなく神の前に生きることの大切さ、また聖書の価値観を提示して、世界を見据え、歴史を見据えて主体的に生きることができる子供たちを育ててほしい。更に、自分にされたくないことをしないという人間としての最低限の守るべきマナーの銀のおきてSilver Ruleと自分にしてほしいことを他の人にもという人間として最高の目標の金のおきてGolden Rule即ち共生の知恵を生徒たちに教えてほしい。
講演Ⅱ「私たちはこの時代をどう生きる?」
現代社会は、「病む社会」「癒しを必要としている社会」、それは誰の責任か。テロリストか政治家か経済システムか、それも一理あるが、他の人がどうなろうとも自分さえという自己中心が問題である。人にとって大切なものは力や富ではなく、神の国・神の義である。
イエス・キリストは僕となって仕えるために来られたが、私たちは僕となって弱者に仕えているか、ボスになろうとしていないか、また、世が癒されていないのは、私たちが祈りを捧げていないから、神を慕い求めていないからではないかとミッションスクールに関わる私たちの姿勢を問われました。
神が目を向けたい人は、創世記18・23~の正しい者、エレミヤ5・1で正義を行い、真実を求める者であり、また神が用いられる人はコリントⅠの1・26~世の無学な者、世の無力な者、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれて用いて下さる。
このように神が求められていることは、信仰・希望・愛に生きている人で、信仰はonly oneとして創造された自分の価値や自分のために死なれたイエスの十字架を信じ、どんな人も実を結ぶ可能性を持っていることを信じさせる。希望は、神は必ず約束を果たしてくださるという希望の源となり、愛は自分のことだけでなく他の人のことを考え、自分も誰かの役に立ち、人のために生きる心を生み出してくれる。
キリストと共に生きるとは、「キリストを心の内に迎える」ことであり、コリントⅡ3・18「主の霊の働きによって、主と同じ姿に造りかえられる」とあるように、神の工事中の一人ひとりであることに感謝して、互いに許し合って、キリストと共に生きる人でありたい。
最後にミッションスクールの牧師の使命は、信仰・希望・愛に生きることであり、Servant Leadership(仕える者としての指導者の姿勢)として、イエスを心の中に迎え入れる。そのような教師に育てられる時、「共生」が可能になり、人間としての尊厳が回復する。一人ひとりが平和をつくり出す人を育ててほしい。
講演に続いてグループ別討議Ⅱ、全体協議、閉校礼拝で会を閉じました。
神田先生を通して飢餓の実態と私たちが何をなすべきかを教えられ、実り多い夏期学校となりました。
〈活水中学高等学校校長〉
キリスト教学校教育 2004年10月号2面