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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 一般社団法人キリスト教学校教育同盟

新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

まとめ
人が生きるとは?教師も生徒と共に問う

磯貝 暁成

 第四十五回中高研究集会が、全国より三十九名の参加を得て、三月二十四日から二十六日にかけて花冷えの横浜で行われました。今年度の講師には横浜国立大学教授の高橋勝先生をお招きしました。

〈第一日目〉
 開会礼拝と委員長あいさつ開会礼拝を関西学院中学部の福島旭先生の説教で守りました。

 「なぜ生きるのかと問う姿勢の中に、出会いがあり感動が生まれる」「見えないものへの問いかけが確かな生を提供していく」「先ずがむしゃらに生きなさい、その後にその意味がわかってきます」と体験を通して語られました(コリントⅡ4・16~18)。

 続いて委員長平塚敬一先生(横浜女学院)のあいさつは、「新しい年度には現場からの再出発を決意。共にキリスト教学校のこれからをさらに深く考えて行きたい」との熱い気持ちと励ましの言葉のもとに研究集会は始められました。

講 演
 講演は掲載の通りですが、「自校の先生方にもぜひ聞いていただきたかった内容でした」との感想からもわかるように、どの先生の心にも深く残る講演でした。

発題Ⅰ
 夕食後、田嶋誠先生による発題「尚絅学院中高校における情報化推進について」とルーテル学院高校の大木保幸先生による「情報消費社会における学校と教師の役割 ルーテル学院(熊本)の例から」と題する発題がありました(内容は三頁に掲載)。

 午後九時に発題が終わり一日目のプログラムが終了しましたが、その後も、それぞれ自由な意見交換が遅くまで続けられていました。

〈第二日目〉
朝 拝
 とわの森三愛高校の榮忍先生が「目線」をどこに置いているかと問いかけられました。

 「メディアは事実を伝えようとしていますが、伝えられたものは、事実そのものよりもむしろ伝え手の気持ちが前に出ていないでしょうか。同じように私たちは聖書からイエスの言葉を伝えようとしますが、イエスの意図したことよりも自分の言いたいことを語っていることはないでしょうか。私たちは自分に合うこと、合わないことだけで、生徒に対処していないでしょうか。生徒の心の訴えに私自身を合わそうとしないなら、そこには悲しさだけが残ります。」(マルコ15・6~15)

発題Ⅱ
 プール学院高等学校の藤井竜平先生による発題があるました(内容は3頁に掲載)。

 昼食を挟んでの分団協議Ⅰ、Ⅱ小さなグループに分かれて、問題や課題をそれぞれの学校の事情を考え合わせながら、深めていきました。以下はそこでの問いと提案のポイントです。

・近年、入学して来る生徒の意識が学校の期待する生徒のそれと違ってきていることは確か、社会の強い流れに影響を受けているが、学校はその大きな流れにどのような対処をしているか見えてこない。目先の対処だけに汲々としていいのか。

・教師もまた、実際は現代社会の多様性に大きく影響されていて、個々の価値観で個別に動いていないか。私学の本来の働き(建学の意志)を自ら忘れている。

・キリスト教学校は、生活の規律は生徒と一緒にみんなで作り出していくものと考えてきたが、現実は「きびしさ」だけで指導していないか。

・学校はどのような生徒を育てるのかを地域社会に毅然と語りきれているか。

・学校は、生徒・保護者・同窓生そして教師自身から評価されているが、その評価にきちんと応えていない甘さがつきまとう。この甘さをどう突き破るかに新しいキリスト教学校の進むべき道があるのではないか。

・消費社会にどっぷり浸かっている生徒に、問いかける力は私学にあると講演を通して学び、勇気を得た。人が生きるとはどういうことなのかを教師も共に問い続けていきたい。学校とは、生徒と教師とが問いかけ、話し合い、時間をかけえて創り上げていくものだと実感した。

現地研修
 横浜の山手に立つフェリス女学院と横浜共立学園を見学し、さらに横浜外人墓地を小雨降る中を案内、説明していただいた。

 夕食では、打ち解けた会話が弾み、互いの心に「やるぞ」という気持ちがふつふつと湧いてくる会食でした。一人ではなく、他校にいる同僚に祈られていることは素直に力となります。

〈第三日目〉
 朝拝はフェリス女学院中高校の野田美由紀先生。

「情報化社会で常にその情報に振り回されている生徒、消費社会の中で自らも消費されていく」「ものへの執着がすべての価値観の判断になっている若者に、『人に仕える』意味についてイエスを通して語りたい」と語られた(マタイ6・24)。

全体会(分団Ⅰ、Ⅱの報告と全体の質疑応答)と閉会礼拝

 九州学院高校の富島裕史先生の「安心しなさい、怖がることはないと語る神、その人を生み出し、その者に命を与える神に出会って欲しい」と語りかけられました(マルコ6・45~51)。

人は弱い者なのだ、その弱い者がどう生きるかを教えるのが私学だと教えられて、散会。

〈静岡英和女学院中高校教頭・宗教主任〉

キリスト教学校教育 2004年5月号2面