キリスト教学校教育バックナンバー
開会礼拝説教
無より有を呼び出す神の業
川村 健爾
一、学園創立と神の計画
一九四六年三月、清水安三夫妻は北京より東京に引き揚げて来た。翌日、清水先生は神田YMCA前の路上で、偶然賀川豊彦氏と再会し、現在の桜美林学園の地を紹介され、既存の廃墟化した建物に学校開設の夢を託した。当時五十六歳で引き揚げたばかりで、わずかな資金しかなく、これで学校設立とは、まさに「無から有」を生み出す奇蹟であった。しかも二ヵ月後には桜美林高校女学校認可を得た。恐らく当時の文部省の人は清水先生の北京での中国女子教育の実績を知っていたからであろう。学園は「せん方尽くれども 望を失わず」を合言葉に全校あげて祈りと努力によって、着々と実現していった。
二、学園名称の由来
一九世紀独仏戦争の折、当時多大の打撃を受けていたアルザス地方で、教育と社会復興に尽力したフレデリック・オベリンの精神に基づくものである。しかし当初は、桜美林を正しく読める人はまれであった。創立から三十年後、当高校野球部が甲子園夏大会で、初出場初優勝してから全国的に「オウビリン」と認識されるようになった。これは清水先生の長年の夢であり、当時、次のような歌を詠んでいる。
「夢を見よ、夢は必ずなるものぞ。嘘と思はば、甲子園で聴け」
三、教育は結局「愛」である
教育は結局「愛」であるというのが、清水先生の教育理念として今もなお桜美林学園に受け継がれている。教育とは単に学問を教えることではなく、教え、育むことなのである。教員は、生徒一人一人を大切にし、その個性を尊重し、名前は必ずさんづけ、君づけでよぶ。教室には教壇を設けず、常に生徒と同じ視点に立つ。そして、生徒は自由で、自分の能力を思いきり伸ばせるように指導するのが原点であった。この学園は、教員と生徒達、そして教員同志が和気あいあいとした雰囲気が校風となってきた。これからもこうした創立者の精神を忘れることなく進んで行きたいと願っている。
「わが魂は天に帰らず とこしえに とどまるべきぞ 桜の園に」誰よりも学園を愛し、学園のために祈りつづけた清水先生の晩年の歌である。
〈桜美林学園学園長〉
キリスト教学校教育 2004年1月号3面