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新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

第36回全国中高聖書科研究集会
キリスト教学校における宣教 2 ―礼拝と授業の実践に学ぶ―

磯貝 暁成

 本同盟の教研委員会中高部会のもと、「第36回全国中高聖書科研究集会」が、10月20日(月)~21日(火)に実施されました。

 全国より35校、45名(小学校から2名)の先生、同盟より2名(主事、主事補)、計47名の参加で、例年より多数の先生が集まりました。

 今年度は「キリスト教学校における宣教2―礼拝と授業の実践に学ぶ」の主題で、特に授業を考えることにしました。キリスト教学校にとって重要な課題であります「授業」の問題をもう一度真摯に問い直したかったからです。

 今回は、横浜地区の2校(第1日目はフェリス女学院中学高等学校で、第2日目は横浜共立学園中学高等学校)を会場にお願いしました。

第一日目
 会場校の、中村晴子校長先生の歓迎の言葉に迎えられて開会。

 委員長(静岡英和中高 磯貝曉成)による主旨説明―「会場校の生徒に対し、当該校の先生と他校の先生による授業を二本立てで設定しました」「会場校の先生は会場準備をしながらの、他校の先生は生徒と初見での授業から緊張が漂いますが、互いに知り合った地区の教師同士で実施するよりも、緊張するところに本音の課題を見出し、」「公開授業であると同時に教科教育の研究授業でありたいと考えます」―、その後、直ちに希望するそれぞれの教室に赴きました。

授業
 フェリス女学院中高の野田美由紀先生と梅花学園中高の高橋詠子先生が、「タラントンのたとえ」を主題に、フェリスの中学一年生(各二十四名)に、それぞれ授業がなされました。

 それぞれ切り込み方の違う授業に各自触発されながらの授業見学でした。

その後、授業の振り返りの時間で、特に下記の意見をきっかけに話し合いが展開しました。

 ・聖書を教える、聖書で教える。いずれにせよ「たとえ話」を一つの話として聖書から切り離してしまわず、聖書の大きな流れの中で捉えさせることが大切ではないか。
 ・聖書の話と生徒の現実の生活とのつながりをどう付けるかに授業のキーポイントがある。
 ・授業で他のことをしている(内職)生徒に、どう切り結べる授業が自分にできるか。(フェリス女学院では聖書の授業は評定しないことになっている)
 ・たとえ話の登場人物の状況を説明しながら、自分がその立場ならどうするかということから授業を展開していくが、「あなたはどう思いますか」という問いかけに、応えられない生徒が多くなってきているように感じる。
 ・聖書の授業を、自分の思い込みで行っていないだろうか。授業をよりよくするために、(学校に聖書の専任教師が複数いない現状で)生徒や他教師から客観評価されることも必要ではないか。
 ・授業中の生徒の反応に、どう付き合い、どう授業の流れに取り入れるかに悩む。

第二日目
 授業者でもある、横浜共立学園中学高等学校校長、石井道夫先生の歓迎の言葉。

 朝の礼拝に全員が参加、中高生徒が礼拝堂に粛々と入退堂するのは、実に見事なものでした。

授業
 石井道夫先生と捜真女学校中高の魚屋義明先生が、横浜共立の中学一年生と高校一年生にそれぞれ授業を行いました。

・教師の伝えたいことが、伝えたいという気持ちと共に生徒の心に染み透って行くことに、生きた授業を感じる。
・「神のかたち」「神の義」「契約」などキリスト教の用語が、生徒の日常生活の中から説明されていくわかり易さは、この時代の生徒に必要に感じる。
・授業のリズムが、行き当たりばったりでなく、きちんと教案が研究された上でのダイナミックな展開に感動が生まれる。
・聖書の授業は「実存」であり、教えるその人の品格が伝わっていく。
・「なぜ聖書の授業を受けなければならないのか」という問いに、どう答えた授業をするか。
・生徒の置かれている現実と、聖書のメッセージをどう繋ぐのか。聖書科の教師自らが生徒と聖書の間に立っていくことによって生きた言葉が与えられるのではないか。

 一泊二日の短い研究集会ではあったが、例年になく各自実りの多い研修の時を得ました。

全体会での報告
 教育同盟の主事に、相澤眞喜先生が就任されたことが報告された。

 また、次年度は、会場は北海道のとわの森三愛高等学校、会期は8月23日(月)~25日(水)が予定されている。詳細は全国委員による協議を待つ。祈祷、散会。

〈静岡英和女学院中高校教頭・宗教主任〉

キリスト教学校教育 2003年12月号3面