キリスト教学校教育バックナンバー
キリスト教学校教育バックナンバー
シンポジウム
主題:「グローバル時代とクリスチャンスクールの役割」
司会者 藤田太寅氏 (関西学院大学教授)
発題者 山村 慧氏 (聖和大学学長)
黒瀬真一郎氏 (広島女学院理事長補佐)
ルース・グルーベル氏 (関西学院大学教授、宣教師)
司会者
村上氏のお話から、今、グローバル時代とかグロバリーゼーションとか言われているが、これにはいろいろな解釈がある。原理的には交通・通信の手段が発達することによって、地球上の地点間の時間・距離が近くなるということ。加えて最近の市場経済の進展によって、社会が開放度を高めて、人、金・物などが抵抗なく動く時代になった。その結果、病気までもが、あっという間に全世界に広まる(劇症肺炎の例)。
宗教や文化の面においても、あるいは価値観においてもいろいろなものが飛び交い、地球規模で影響を与えあう現状である。教育の面でもグロバリーゼーションが影響を及ぼさないわけはない。従って教育同盟でもこのテーマを掲げたと思う。このテーマについて三人の方に発題していただきたい。
「グローバリズムと高等教育」をめぐる概念と課題
山村 慧
国際化の中の日本の教育
1960年代半ば「国際化」という言葉が日本経済新聞に現れ、又その後の日本経済の高度成長と教育の関係が国際的な注目を引く。特に幼児教育と初等教育への関心が高く、硬質の論文も産出された。「日経ビジネス」(1983年2月21日号)は、創造性と国際性の視点から、当時の日本の高等教育を批判。今なおその後の高等教育自己変革の軌跡が問われている。
グローバリズムと文化概念の確執と隘路―「文化変容」概念の重要性
文化と教育の分野では、子どもの発達と文化アイデンティティという問題が存在。グローバリズム問題は、文化概念との対比で、ホットなテーマとなる。発展途上国の知識人は、グローバリズム問題に「民族性」との絡みで対応、「良心」的先進国知識人は、文化相対主義的視点から理解を示す傾向が強い。両者共々、「文化」概念を操作する際の思考枠の検討が必要。Essentialism思考の枠組みは、文化概念に「純粋」「雑種」等の二元論、更に差別と排撃の構造を生む。
周知の「文化変容」概念に活性化の道はあるのか。
日本の高等教育への研究と教育の課題―「多様性」への問いの立て方
1 対概念としての〈普遍と個別/特殊〉二元論の問題
一つの特殊が普遍へと昇華し文化本質主義へと傾斜する危険性とそれに対処できる理論構築。複合社会における死活の問題。
文化又は生活様式の多様性概念の構築例―「家族的類似性」概念(ウィトゲンシュタイン)―はっきりと画定できない生活様式の同一性と差異をみつめる姿勢を堅持できる人間の育成。
人間と自然/動物の関係も包括する視点―環境問題への理論的架橋。
2 「学び」の構造の再検討―自己文化(共同体の規則体系)認知構造の再検討
「多様性」概念と「他者」概念の関係―教育行為の原点としてのダイアローグ。
「無意識の中の同質意識」が生み出す「独り言」の教育―他者の隠蔽と排除―これは特に日本の教育文化分析の問題。
いのちを大切にする教育とヒロシマの使命
黒瀬 真一郎
科学技術文明、特に、交通、IT革命等の進歩により、外なるグローバル化は目を見張る勢いで進展してきたが、心のグローバル化はそのスピードに追いついていけない現実がある。
本来、学問・教育は人間を超えた大いなる存在への畏れから出発すべきであり、畏敬の念は人を謙虚にひざまずく姿勢(礼拝)へと導くと言われる。クリスチャンスクールは公教育の一翼を担うものであり、人間形成そのものに携わる大切な使命がある。真の人間形成を追求するためには、キリスト教に基づいて世界を視野に入れて、人間を深く理解し、それぞれの違いを認め合い、かけがえのない命を尊び、他者のために生かされる知性を育成することが求められる。
「過去を振り返ることは、将来に対する責任を負うことです。ヒロシマを考えることは、未来に対して責任をとることです。」(ヨハネ・パウロ二世)に象徴されるように、原爆により若くして尊い「いのち」を奪われ、無念の死を余儀なくされた生徒や、「二度と誰にもこんな思いはさせてはならない」と、現世の平和を願い活動してきた被爆者のことを、今こそ地球市民としてあらゆる方法と手段を通じて語り継ぎ、発信するときである。
限られた時間の中で、次の三点について発題・報告した。1.グローバル時代―地球市民として、2.いのちを尊ぶ教育―祈りと実践(1)広島女学院の平和教育(理念と実践)―’95国際高校生サミット、サウジアラビア大使と女子校との交流、2003年ミニサミット、3.クリスチャンスクールの役割と使命(1)建学の精神を礎とする世界観による人間教育(2)キリスト教学校教育同盟間の交流と連携―ランバスリーグ(3)平和教育ステーションとしての広島女学院―中高校(ヒロシマ学習・平和公園内碑めぐり案内と交流―国内外12校)、大学(原爆講座、キリスト教主義大学ジョイント8・6平和学習プログラム―五大学、海外姉妹校提携大学ジョイント・セミナー13大学)。
ますます混迷を深める社会にあって、インターナショナルな考え方、生き方の羅針盤はグローバルな書物・聖書の中にあることを覚えたい。
グローバリゼーションとキリスト教学校の役割
ルース・グルーベル
グローバリゼーションによって国家は安全や繁栄を国内だけで確保することが難しくなってきた。なぜならば国民は世界経済、国際条約、病気、テロなど大変多くの影響を受けるからだ。
われわれは世界の変化を理解するよう良く訓練され、又不当な搾取の気配を察知したならいつでも行動に移せる市民を必要としている。これらの市民は多方面からの情報を分析したり、草の根団体からの世界的なNGOと一緒に努力し協調することができなければならない。
キリスト教学校はこの行動主義に導く価値観を育てると同時に、これらの能力を磨く手助けをすることができる。キリスト教学校で既に行われている豊富な種々のカリキュラムや特別プログラムは、われわれの共有財産である利点をより強固にし、お互いから学ぶ出発点となるであろう。たとえばアジアキリスト教大学同盟(ACUCA)はキリスト教学校間の情報やプログラムを活発に交換してきた国際的団体の好例といえよう。
奉仕学習プログラムはいくつかのメンバー校で進展中である。これらの教科では学生たちがいろいろな地域の組織でボランテイアをすることによって、教室で得た知識を実際の場で応用することが出来る。又わが校には他にもボランティアの活動の機会がある。例えばハビタット・フォー・ヒューマニティは国際的キリスト教NGOで、標準以下の家屋で暮らしている人々と一緒に家を建てるのを手助けしている。このようなサークルやクラブ活動で活躍した学生がその後の人生において新しく奉仕志向の観点を持つに至るような「変身を遂げる」こともしばしばである。
これはわれわれが使うことが出来る手段のほんの一例であるが、キリスト教学校は学生にグローバル化する社会に備えさせる大きな責任があり、われわれがお互いに協力することによって最も上手にこの使命を果たすことが出来るであろう。
司会者
三人のお話にはかなりの広がりがある。しかし話の端端に「キリスト教学校であるからこそ、他者理解が大事なのではないか」というメッセージがあった。グルーベル氏は、外国語教育を受ける難しさを通して他者理解を身につける。或いは奉仕しながら学び、与えられるということをいろいろな例を挙げながら強調された。黒瀬氏は、キリスト教学校がムスリム世界の大使を定期的に招いて話を聞き、また現地の学校と交流して成果を上げていること。山村氏は、文化の異なる人間同士のコミュニケーションにわれわれは至らなければならないということを話された。
村上氏
グローバル時代は人間を軽薄にする面を持っているのに対して、クリスチャンスクールはどうチャレンジするか。
司会者
グローバル時代になって商業主義、市場経済が教育現場に持ち込まれている。偏差値によって学校が選ばれることを、キリスト教学校はどのように考えたらよいか。
山村氏
偏差値の問題は固定化された価値観が支配しているのではないか。われわれは変動という概念を?みたい。
黒瀬氏
情報化の時代で心がついていかない。偏差値の問題も、学校は学力をつけるところであるが「真の知性は他者のために」と目標をはっきり示すことである。
グルーベル氏
偏差値という力あるものに対して、キリスト教学校は「心の教育」をもっと上手に伝え、独自の評価をしたらよい。
司会者
関西学院の卒業生で、今地方自治体の首長をしている16名にアンケートをした結果、一番役に立っているのは、スクールモットーのMastery for Serviceであった。チャペルアワーを愚直に守ることである。
キリスト教学校教育 2003年7月号4面