キリスト教学校教育バックナンバー
聖書のことば
樋口 誠
青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ(コレヘトの言葉12・1)
この旧約聖書のことばはどの学校においてもたいせつにおぼえられ重んじられている聖句のひとつである。わが校でも新入生をむかえるときのオリエンテーションで毎年強調して話している。それは生徒諸君が自分の力だけで生きているのではなく、〈創造主〉によって生かされていることにすこしずつめざめていってほしいし、特に長い生涯における逆境のときにこそ〈創造主〉に心を向けて逞しく乗り越えていってほしいと心から願うからである。学校教育の目的はその生徒の順調なときではなく、むしろ逆境のとき、自分の力の限界を痛感し、絶望的な状況に立ち至ったときにこそ力を発揮するものでなければならない。
主の祈りの冒頭のことばは「天にまします我らの父よ」という呼びかけであるが、〈天にまします〉というのは神が空の上におられるということではなく、神がわたしたち人間をはじめ、天地万物の創造者であるということを意味している。そして神が自分の創造者であるということは、常に神が全能の力をもってわたしたちひとりひとりを守り導き、たとえ自分の目には災いと思われることも、それらをすべて〈自分の益〉としてくださることを信じて疑わないことである(ローマ8・28)。このような創造主に心が向けられるとき、いろんな試練のなかで挫けることなく、むしろそれをバネにして成長する道が開かれるのではないだろうか。
ザビエルが日本伝道を決意して旅立つ前にマラッカからヨーロッパに書き送った手紙には「わたしたちが日本に行くのは、神の似姿に造られた人びとに、ただその創造主を知ってほしいからです」とその目的が書かれている。感銘深い一文である。そしてわたしたちはそのチャンスが〈青春の日々〉であることも銘記しなければならない。心身共におおきく変化し成長する青春の日々こそ、創造主のことをかんがえ始める絶好の機会なのである。
〈東北学院中高校宗教主任〉
キリスト教学校教育 2003年5月号1面