キリスト教学校教育バックナンバー
愛国心について
北垣 宗治
教育基本法を改正せよという声が上がっています。その理由の一つとして、現行の教育基本法の下では、愛国心を養うことができないからだと聞きます。教育基本法が改められて、国の指導のもとに愛国心を養うプログラムが義務教育の一貫として一斉に行われる日がくることは、はたして望ましいことでしょうか。
国旗としての「日の丸」、国歌としての「君が代」が国の方針としてすべての日本人に押し付けられる状況が最大の問題です。国民の祝日には、どの家でも日の丸を掲げましょう、と呼びかけることはよいとして、日の丸を掲げない家は、「非愛国的な」家であり、「非国民」の家である、とする考え方が問題なのです。日の丸が日本の国旗であることを私は認めますが、同時に、日の丸を掲げる自由と、それを掲げない自由がなくてはなりません。
私は毎年三月に、近くの国立大学の卒業式に招かれて出席してきました。開式の辞に続いて「国歌演奏」があり、全員が起立して、「君が代」のメロディーを聞くのですが、壇上の先生たちの中にも、卒業する学生たちの中にも、はっきりと口を開けて歌っている人もいれば、口を閉ざしている人もいます。壇上から見ていて何となく不安定な、バツの悪い雰囲気ですが、私はあれでいいのだと思います。私たちには「君が代」を歌う自由もあれば、歌わない自由もあるからです。では「君が代」を歌う人は愛国心の持ち主で、歌わない人は愛国心を持たないのでしょうか。
日本に住んでいると、日本の欠点が目に付き、日本は困った国、悪い国だと思ってしまいます。ところがいったん外国に一週間でも、一か月でも住んでみると、逆に今度は日本がいかによい国であるかを痛感します。日本の鉄道は正確無比であり、店に入ると店員は親切であり、小さな買い物をして一万円札を出しても店員は嫌な顔をせずにお釣りをくれるし、チップは要らない。世界中のあらゆる種類の食事が簡単に取れる。日本人は清潔好き。日本の道路は夜でも安全。このような例を挙げていけばきりがありません。日本は良い国だ、私は日本が好きだ、私は日本に生まれてよかった。この感覚が私における第一義的な愛国心です。でも、この愛国心は普通眠っています。ふとしたはずみにそれが目覚める。私はそういう愛国心を大切にしたいのです。
しかし私は第二義的な、より重要な愛国心のことを思います。それは、私の愛する日本が、国際的に見て、道徳的に見て、間違った道を歩んでいるなら、それに対して「待った」をかけ、軌道修正を要求する意志です。義務といってもよいでしょう。この意味での愛国心は勇気の支えを必要とします。旧約聖書の預言者たちが直面した状況は、まさにそのようなものでした。いざとなれば、国の為政者たちに向かって、耳の痛いことを発言できるかどうか、その勇気を持ちうるかどうか。そのような勇気をもたせてくれる愛国心教育のプログラムがあれば、私はそれに諸手を挙げて賛成します。
〈敬和学園大学学長〉
キリスト教学校教育 2003年3月号1面